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【毀誉褒貶】(きよほうへん)
 (「毀」はそしる、「誉・褒」はほめる、「貶」はけなす意)
  悪口を言うこととほめること。ほめたりけなしたりの世評。
 用例:「毀誉褒貶相半ばする人物」
   《広辞苑・第五版》

 三場所連続して休場したあとでの出場となった横綱、朝青龍が勝ち進んでい
 るようです。大相撲にそんなに興味が有るわけでは無いのですが、本場所直
 前と場所が始まり勝ち進むに従って目まぐるしく変わる朝青龍の評価には興
 味があります。
 場所前は、もうダメだとか、出ても恥の上塗りになるだけ、引退しろという
 声が多かったのが、勝ち進むにつれ、

  さすが横綱

 と評価が変わってきました(まだ「腐っても鯛」といった評価ですけれど)。
 毀誉褒貶は定めなく、また当てにもなりませんね。

 今はまだ、危なっかしい勝ち方だとか、全盛期には遠くおよばないとかの批
 判はあるようです。勝敗という厳然とした結果については流石に文句はつけ
 られないので、悪評は勝敗以外の部分へと遷っていったのです。

 何であれ世の中の水準を大きく超えた人物はまた、毀誉褒貶の振幅が大きな
 人物でもあります。そのスケールの大きさから、褒める側、貶す側、それぞ
 れに褒める理由、貶す理由がいっぱいあるからです。

 こうしたスケールの大きな人と毀誉褒貶の振幅が大きい点で似ているものに、
 時代の寵児と呼ばれるような人たちがいます。似てはいるのですが、違いも
 あります。
 それは、時代の寵児は一時期大きく褒められるけれどその評価が崩れ、一転
 して悪評が噴出するとそこで評価が確定してしまうことでしょうか。

 振幅が大きいと言いましたが、こうした人の場合その振動はたった一度で終
 わり。長く伝搬して行くことがありません。
 悪評が固まれば、あとは忘れ去られるばかり。
 スケールの大きな人物と、時代の寵児の差は何かと考えれば、それは実力の
 有る無しではないでしょうか。

 実力が有るものに対しては、褒めるにしても貶すにしても実力がある点は事
 実として認めていて、ただその力の発揮される方向を「善」か「悪」かと評
 価するものの立場から眺めます。評価される対象が変わらなくとも、評価す
 る側の立場や考え方が変われば評価も変化します。つまりこの場合、毀誉褒
 貶の変化は評価する側の問題だと言えなくもありません。

 ところが実力を伴わず、ひととき泡沫の如き人気を得たものは、実力が無か
 ったと判った段階でその評価は確定します。力の向きを論ずるのなら、見る
 方向で変わりますが、力が無いということは、どこから見ても「無」以外の
 見方が出来ませんから。

 朝青龍の場合、現在までの実績だけを見ても実力が有る力士であることは異
 論を差し挟む余地が有りませんから、毀誉褒貶が様々に変わりながらも一時
 代を築いた横綱として記憶され続けることと思います。

 現在、この国の指導者となっている方も、その立場に立つまでは大変評価、
 期待の高い方でした。それがわずかの期間でその評価は散々なものとなって
 います。さてこの毀誉褒貶の変化は、大きな実力をもった人物だからなのか
 それとも?
 何年かして振り返れば、はっきりすることですね。


オリジナル記事:日刊☆こよみのページ 2009/01/18 号

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