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【学ぶに暇あらずと謂う者は暇ありと雖も亦学ぶ能わず】
 暇がないから勉強出来ないというのは口実で、そういう人ははじめから勉強
 する意欲を持っていないのだということ。転じて、勉強は遊び半分でなく、
 本気で取り組まなければならないということ。
   《成語林・初版》

 出典は漢の淮南(わいなん)王劉安が学者を集めて作った書、淮南子(えな
 んじ)です。
 淮南子には民間に伝わる細々とした話も数多く採り上げられていますが、こ
 の話もそうした話の一つ。

 「学ぶに暇(いとま)あらずと謂う者は暇ありと雖(いえど)も亦学ぶ能わ
 ず」という言葉の前段にはもう一つの話があります。

 或る家でその家の母親が亡くなりました。その息子は儀礼どおり哭(こく)
 しました(「哭す」は死を弔って泣き叫ぶ儀礼)。ところがそれがちっとも
 哀しそうでは有りませんでした。
 その様子を見ていた隣の家の息子は家に帰って母親に云いました。

 「隣の息子の哭泣(こっきゅう)はなっていません。ちっとも哀しそうじゃ
  無いのです。お母さん、どうして早く死んでくれないのですか。
  私ならきっと心から哀しそうに泣いてみせることが出来るというのに。」

 これがその前段の話。
 自分の母親の葬式で自分が儀礼どおり立派に哀しむ姿を示したいがために母
 親に早く死んでくれと願うような息子は、本当に親が亡くなった時に哀しみ
 泣くことなど出来るはずがない。暇がないことを口実にして勉強出来ないと
 いう人間には、暇を与えたとしても勉強など出来るはずがないと、淮南子は
 結んでいます。

 親を大切にし孝養を尽くしていれば、その親が亡くなったときには「立派に
 哀しもう」などと意識しなくとも自然に哀しみ泣くことが出来る。葬儀で哭
 泣することの本質は、立派に泣くことではなくて、亡くなった人をどれだけ
 大切に思っていたかという心の問題であり、学問することの本質も学問する
 時間のあるなしではなく、学問する意欲が有るか否かという心の問題だとい
 うことでしょう。

 今日は調べものの途中で、偶然この言葉が目に飛び込んできました。
 近頃は何かにつけ、「忙しいから」が口癖になっている私に誰かが見せてく
 れた言葉かも知れませんね。

オリジナル記事:日刊☆こよみのページ 2010/12/08 号

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