こよみのぺーじ 日刊☆こよみのページ スクラップブック  (PV , since 2008/7/8)
【仕官するなら執金吾、妻を娶らば陰麗華】
 『仕官当作執金吾 娶妻当得陰麗華』
 後漢王朝を開いた光武帝劉秀(こうぶてい りゅうしゅう)が若い時代に語
 った将来の希望。
 「官途につくなら執金吾(都の警備を担当する長官)になりたい。
  妻を娶るなら陰麗華(劉秀の出身地方で美人として有名だった娘の名)」
 といった程度の意味。

 本日のコトノハは、いつもと大分毛色の違ったものです(コトノハで扱うべ
 きか悩むくらい)。
 毛色がかわっていますがかわうその好きな話の一つということで、お付き合
 いください。

◇前漢から後漢への時代
 後に光武帝と呼ばれるようになった劉秀は、漢王朝(前漢)の開祖、劉邦の
 末裔。劉邦の末裔とはいっても、遠い子孫なので、せいぜい地方の名家の子
 弟といった具合で、皇族といったものではありません。

 そのご先祖様が開いた前漢王朝も、開かれてから 200年を経て弱体化し、つ
 いには重臣の一人、王莽(おうもう)によって乗っ取られて滅びてしまいま
 した。しかし、王朝を乗っ取った王莽があまりにも現実を無視した政治を行
 ったために、たちまち民心が離反して各地に反乱が続発するようになりまし
 た。

◇目立たない人物
 この反乱に劉秀の兄、劉縯(りゅうえん)が呼応し、劉秀も兄に従って反乱
 軍に身を投じることになりました。それまでの劉秀はといえば、血気盛んな
 兄とは異なり、物静かで生真面目、慎重な性格で、地元で農業に勤しむとい
 う目立たない人物だったようです。

 劉秀が若い頃に将来の夢として語ったとされるのが冒頭に書いた「仕官する
 なら執金吾、妻を娶らば陰麗華」。執金吾は京の警備担当の長官のような官
 職。官服がきらびやかで、あこがれる者が多かったのだとか。
 陰麗華(いんれいか)は、劉秀の生まれ故郷で美人として有名だった豪族の
 娘の名前。若い頃の劉秀は、

  「格好いい制服の役人になって、
   陰麗華のような美人と結婚できたらいいだろうな」

 というくらいの夢を語るありふれた若者だったようです。
 秦の始皇帝を目にして、「あいつに取って代わってやる」と言った項羽や、
 「男子たるもの、ああなりたいものだ」と言ったというご先祖様の劉邦と比
 べると、志のスケールがぐっと小さいですね。

 「いつか皇帝になってやる」なんて夢を劉秀は露ほども持っていなかったよ
 うです。反乱軍に身を投じたのも、兄が行くからこれに従ったという感じで、
 これで一旗揚げてなんていう野望は感じられません。
 後に皇帝の座に着いてから故郷に帰った際にも、地元の老婆達から

  「若い頃は真面目一方で、遊ぶことも知らなかった文叔(劉秀の字)が
   皇帝様になるとは、びっくりだね」

 とからかわれて苦笑いしていたとか。周囲の人も、劉秀のことを皇帝になる
 ような人物とは見ていなかったようです。

◇志は低くとも、能力は抜群?
 本人の志は高いとは云えず、周囲からもさほど期待されていたとは云えない
 劉秀が皇帝になってしまうのですから、世の中は不思議なものです。

 不思議といえば、劉秀当人がまた不思議。
 当初は周囲もそんなに期待していたとは思えない劉秀でしたが、いざ戦をし
 てみるこの人、無類に強かった。常に部隊の先頭に立って指揮を執り、そし
 部隊を勝利に導きます。

 戦いが終わると、投降してきた敵軍の将兵の扱いは寛大で、まるで元々の自
 分の部下だったように誠意をもって扱うため、昨日までの敵もあっという間
 に劉秀に心服して、次の戦いでは強力な戦力となったそうです。そして気が
 つけば劉秀は群雄が割拠する戦乱の時代を勝ち抜いていたのでした。

 帝位について政治をしてみても、生来の生真面目さと勤勉さを発揮して民政
 の安定に心を砕き、豊かな国造りに成功し、中国の長い歴史の中でも屈指の
 名君と呼ばれる程の治績をあげてしまいました。

 志は低くとも、その能力は抜群だったようです。
 能ある鷹は爪を隠すの類でしょうか。

 もっとも劉秀の場合は、爪を隠していたというより、鋭い爪の存在に劉秀自
 身が気づいていなかったのかもしれません。本人がこんな具合だからでしょ
 うか、中国歴史上屈指の名将であり名君なのに、あまり目立たない光武帝劉
 秀です。

◇夢はかなったのか?
 皇帝になった人物としては、いささか平凡すぎる志を持ったの劉秀でしたが、
 「仕官するなら執金吾」については、京の警備の長官どころか、皇帝にまで
 なってしまったので、夢はかなったといっても間違いはないでしょう。

 では、もう一つの「妻を娶らば陰麗華」はどうでしょうか。
 光武帝劉秀の後を次いで後漢王朝の二代皇帝となったのは劉荘(明帝)で、
 その母は陰皇后。若い頃劉秀があこがれた陰麗華その人でした。

  「仕官するなら執金吾、妻を娶らば陰麗華」

 劉秀の思い描いた将来の夢は叶ったと云えそうです(思ったより、スケール
 が大きくなりましたけれど)。

 ちなみに劉秀のあこがれた陰麗華は、美人であっただけでなく大変聡明な女
 性でもありました。
 陰麗華は皇后の地位についても質素な生活を続け、また自分の一族の政治参
 与を許さないことで、外戚による政治の乱れを未然に防ぎ、後漢初期の政治
 の安定に貢献した、これまた歴史上屈指の賢皇后とされています。
 能ある鷹は爪を隠す。劉秀は女性を見る目も高かったのかな?

 「仕官するなら執金吾・・・」なんて、コトノハで採り上げるような言葉か
 なと思いながら、本日は、かわうその個人的な好みによって無理矢理ねじ込
 んだお話でした。

 歴史にはどろどろした話がたくさんあります。
 そんなどろどろした歴史の中にも、たまには光武帝劉秀と陰皇后の話のよう
 なハッピーエンドの物語もあるとわかると、なんだかほっとするじゃありま
 せんか。

オリジナル記事:日刊☆こよみのページ 2012/08/27 号

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