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■曜日の来た道 (その5) 日本への伝来
 ローマ帝国で使われた「曜日」はシルクロードをたどって、インドへ伝わり
 ます。インドでは中国から伝えられた天文知識である「二十八宿」とローマ
 から伝わった「七曜(曜日)」とがともにインドの占星術に取り込まれてゆ
 きました。

 二十八宿は中国生まれ、七曜はローマ(元はバビロニア)生まれですがどち
 らも月の動きの周期から作られた周期ですから、違和感なく結びついたよう
 に思われます。
 (7日×4 = 28日 とあつらえたように、いやぴったりあつらえた?)

 このインド占星術の知識はAD 759年に、インド出身の僧不空(ふくう)によ
 って中国に伝えられます。不空はインドから仏教の新知識を携えて中国に帰
 化した僧。その知識を口述したものを弟子の史瑤(しよう)が中国語に翻訳
 して「宿曜経(すくようきょう)」として成立しました(もっとも、訳が悪
 かったのか、5 年後に楊景風(ようけいふう)によって改訳と注釈がなされ
 ました)。

 さて、中国に伝来する直前までは七曜の各曜日は惑星を表す言葉でした。日
 ・月はいいとして、他の五惑星については当時の中国の名前は

  辰星(しんせい、五行説では水性の星)
  太白(たいはく、  〃  金 〃 )
  螢惑(けいこく、  〃  火 〃 )
  歳星(さいせい、  〃  木 〃 )
  鎮星(ちんせい、  〃  土 〃 )
  ※注 「螢星」の螢の本当の文字は「虫」が「火」です。

 と難しくてなじみの無い名前でしたが、七曜経では五行説で表したそれぞれ
 の星の名前を附して、水曜星、水精、水官などと書かれたことで、曜日の書
 き方は現在の形に定着しました。「直訳」ではなく一種の「意訳」を行って
 くれたおかげで、簡単な文字になりました。良かった。

 さて、こうして中国までたどり着いた曜日ですが、日本への伝来には最後の
 障壁が待ちかまえていました。それが日本海。この障壁を乗り越えるために
 歴史が差し向けた使者は、僧空海。恐らく日本の歴史上もっとも著名な僧が
 その使者の役割を担いました。

 宿曜経が中国で作られてからおよそ40年後、遣唐使一行とともに中国に渡っ
 た留学僧空海は、ここで当時インドからの最新の仏教知識であった密教と出
 会い、これを学びました。そしてその教典の一つとして宿曜経を日本に持ち
 帰ったのです(AD 806)。「曜日」はついに海を渡って日本に到着しました。

 その後の平安時代の具注暦(日付と暦注を書き込んだ暦、貴族はこの余白に
 日記などを書き込んでいた)には、「日曜」に当たる場所に「密」という文
 字が書き込まれており、これは当時シルクロードを旅する商人たちの間で一
 種の国際語として使われていたイラン系の言葉、ソグド語での日曜を表す
 「ミール」を音訳したものと考えられています。

 こうして曜日は、時間にして千年近くをかけ、距離数千kmを旅して日本に到
 着しました。そして何よりすごいのはこれだけの時間と距離を隔てているに
 もかかわらず洋の東西で「曜日」にズレが生じなかったと言うこと。現在も
 曜日は生まれたときの順番を保持して連綿と続いているのです。

 今回で5回を重ねた『曜日の来た道』は、無事日本へ到着したのでひとまず
 終了。ただ少々書き漏らした点、説明の都合上、省略してしまった話なども
 ありますので、明日以降に少々補講を予定しております。
 明日直ぐに補講になるか、それとも別の話題が間に入るか。それはまた明日
 以降のお楽しみとして、本日はこれまで。

  (『暦のこぼれ話』に取り上げて欲しい話があれば、
   magazine.std@koyomi.vis.ne.jp までお願いします。)

オリジナル記事:日刊☆こよみのページ 2006/11/07 号

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