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■旧正月はなぜ「寅の月」?

  旧暦の正月は立春に近い位置に置かれており、月を表す十二支では寅の
  月となります。

 いきなり何かと思われるかもしれませんが、唐突な感じを忘れて読んで頂け
 れば内容的には正しい話です。

 既にこのコーナーで書いたことのある干支(えと)の話でも説明したとおり、
 十二支は元々暦の月の順番を表す記号(数詞)でした。そしてそれに従えば
 旧正月は「寅の月」です。旧暦の正月の別名は建寅月(けんいんげつ)とも
 呼ばれます。

 ちょっと余談になりますが、建寅月の「建」は「おざす」とも読みます。北
 天に一年中見えている北斗七星は昔の中国では時を司る重要な星座と考えら
 れており、北斗七星の「柄」に当たる部分がどの方向を向いているかによっ
 て、その季節を知ったとも言われます。

 その柄がどちらを向いているかを「建(おざす)」と呼びました。この方式
 によると旧正月の時期は、「寅の方位」に北斗七星の柄が向くため

   寅の方位におざす月 ⇒ 建寅月

 となります。と、余談はここまで。

 さて、一般常識的に考えてなんだか変な感じがしませんか?
 だって、寅は十二支の 3番目。それが正月ですよ? 普通に考えたら、年の
 始めを示す正月は十二支の最初である「子の月」になってしかるべきではな
 いでしょうか。

 では十二支の最初である「子」の月はと言えば、旧暦では建子月は十一月。
 正月より 2ヶ月早い月を表しています。
 さてここでもう一つ。
 
  旧暦時代(日本で太陰太陽暦が正式な暦だった時代)、作暦はまず前年
  の冬至を含む月である十一月を決定することからはじまった。

 これも正しい話。さてだんだんと判ってきましたか。
 日本や中国で使われて来た太陰太陽暦の特長の一つとして一年の始め(正月)
 を立春前後に置いていたことをあげる方がいらっしゃるのですが、そうと決
 まったものでは無かったのです。

 そして、現在の旧正月が寅の月であることや、作暦の開始が前年の十一月
 (子の月)の計算からはじまるという理由を考えると、

   現在の旧暦十一月(建子月)を正月としていた時代があった

 ということが朧気に判ってきます。ではその時代は何時かというと、それは
 十二支を暦の順番を表す数詞として使い始めた頃、つまり中国の周王朝がそ
 うした時代だったわけです。

 周王朝の暦は冬至を含む月を「正月」として、年の始めと考えていました。
 ですから周王朝の末期に暦月の順番を示すために生まれた十二支は周王朝の
 年の始めの月(正月)から順に「子丑寅卯・・・」と割り振られました。
 また、暦作成もまずは「正月」に当たる「建子月」を求めるところから計算
 がはじまったわけです。至極もっとも。

 そしてこの「子の月」を正月とする暦は周王朝の暦でしたから、周正(しゅ
 うせい)の暦と呼ばれるようになりました。

 中国では、古代の三つの王朝、夏・殷・周はそれぞれ違った正月を採用して
 いたと考えそれぞれを、

   夏正(建寅月が正月)
   殷正(建丑月が正月)
   周正(建子月が正月)

 と考えました(三つまとめて「三正」という)。現在の旧暦(なんだか変な
 表現ですがご勘弁)は建寅月に正月をおきましたから「夏正の暦」と言うこ
 とが出来ます。

 漢の時代の以後の暦は夏正の暦(一部に例外はある)を標準とするようにな
 り現在に至ります。長いことずっと建寅月を正月とする夏正の暦を使い続け
 ていましたから、いつしか「太陰太陽暦は立春付近に正月をおく暦」だと誤
 解されるに至ったわけで、太陰太陽暦には正月を建寅月におかなければなら
 ない理由があるわけではないのです。

 そして漢王朝の暦の正月が現在の位置に決められても、十二支によってあら
 わされる暦月の順番は周代に決められた時からの連続性を保ったため、正月
 が十二支の 3番目に当たる寅の月(建寅月)となってしまったのでした。

 暦には「暦がたどった歴史」が刻まれているんですね。


  (『暦のこぼれ話』に取り上げて欲しい話があれば、
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オリジナル記事:日刊☆こよみのページ 2006/11/29 号

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