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■復活祭の二つの日付 ・・・ その2
 今日は復活祭(イースター)。実際の祭礼は前日の夜から行われるというこ
 とですから、このメルマガが届くのは祭礼が終わった頃と言うことになりま
 すね。
 復活祭の祭礼には遅れてしまいましたが、復活祭の二つの日付についてその
 理由を考えてみましょう。


◇ユダヤ暦から独立した復活祭の日付
 昨日の号で書いたとおり、当初の復活祭の日付はユダヤ暦の過越節(すぎこ
 しせつ)の日付と密接に関係していました。キリスト教の信者からすれば、
 キリストの復活を祝う大切な祝日が、異教徒の作る暦の日付に左右されると
 いうのは受け入れがたいものでした。そこで、ユダヤ暦によらずに復活祭の
 日付を決定する方法を考えました。

 ユダヤ暦によらないとはいいながら、だからといって復活祭の日付はなんで
 も良いというわけにはいきません。出来るだけ聖書に書かれた事実を忠実に
 再現したいのです。そこで計算の規則を考える上で次の事柄に着目しました。

  1.過越節はユダヤ暦の「ニサンの月」にある。ニサンの月は、ローマ暦
    (当時はユリウス暦)の 3月に相当する月である。

  2.過越祭はニサンの月の15日に行われる。太陰太陽暦であるユダヤの暦
    の15日は、満月の時期である。

  3.イエスが十字架に掛けられたのは金曜日で、その日から三日目にキリ
    ストは復活した。つまり、復活の日は日曜日である。

 ローマの暦では、 3月は春分の日を含む月です。またローマでは春分を一年
 の初めであるという春分年初の伝統が有りましたから、 3月はその年の始ま
 りの月でもあります。義の太陽とも呼ばれ、また世界と時間の支配者でもあ
 と考えられるキリストの復活を祝うには、この春分の時期は最適の時期でも
 あります。
 こうした条件から生まれた復活祭の日付の計算規則は、

  復活祭は、「春分の日」以後の満月の日の後の最初の日曜日

 というものでした。


◇復活祭の日付の統一
 ローマ帝国では当初キリスト教は禁教で、キリスト教徒の弾圧がしばしば行
 われましたが、AD 311年に信教の自由を認めた勅令(ミラノ寛容令)が発せ
 られて以来、キリスト教は公の活動が出来るようになり、急速にその勢力が
 拡大します(キリスト教がローマ帝国の国教となるのは、AD 380年のこと)。

 こうして広大なローマ帝国およびその周辺国にキリスト教が広がってゆくと
 困った問題が発生しました。それは、それぞれの地域の教会が行う復活祭の
 日付が異なることがあるということです。
 大まかな復活祭の日付の決定方法は決まっていましたが、細かな解釈のちが
 いによってしばしばこの異なった復活祭の日が出来てしまいました。

 この問題を是正するため、キリスト教最初の公会議(教義や教会法制定のた
 めに世界の教会、修道会等の代表者が一同に会して行う会議)がAD 325年ニ
 カエア(Nicaea)で開かれました。この公会議がニカエア公会議と呼ばれ、
 この会議でそれまでいくつかあった復活祭の日付の決定方法が統一されまし
 た。これ以後は全ての教会で、同じ日付に復活祭が行われるようになりまし
 た。

 なお、このニカエア公会議で「春分の日は3/21とする」ことが決定されたた
 め、キリスト教圏の多くの国々では、今でも天文学的な春分の日ではなく、
 この固定された春分の日を用いることが多いです(日本は天文学的春分日に
 基づいています)。


◇再び分裂した復活祭の日付
 ニカエア公会議でひとまず復活祭の日付は一つにまとまりました。
 ところが長い年月の間に、思わぬ問題が現れてきました。それは春分の日が
 3/21であることと関係します。

 ニカエア公会議が行われた時代はユリウス暦が使われており、春分の日は3/
 21という定義もユリウス暦の日付による定義です。
 このユリウス暦には暦の一年の長さが実際の一年よりわずかに長い(約11分)
 という欠点があります。
 
 わずか1年に11分の差ですが、長い年月の間にはこれが積もり積もって10日
 以上も暦の上での春分と天文学的な春分の日付がずれてしまいました。この
 ままでは流石に問題があると言うことでAD1582年にローマ教皇グレゴリウス
 十三世が改暦を命じ、以後使われるようになった暦が現在我々が使っている
 グレゴリウス暦(グレゴリオ暦)です。

 この改暦ですが普通に考えれば、「春分の日」を改暦当時の天文学的な春分
 日であった、3/11に変更するところでしょうが、「春分の日は3/21とする」
 とニカエア公会議で決定されていますから、春分の日を変更することはせず、
 日付を10日間ずらす(10日間を暦から削除)するという操作をしました。
 暦の連続性より、教会の決定事項を優先した改暦だったわけです。

 復活祭の日付も以後はこの暦に沿って計算されるようになり、従来からの計
 算方法を若干修正して運用するようになりました。
 さて、これだけでは「復活祭の日付が二つ」になることは有りません。では
 何が問題なのでしょうか?

 この問題は暦の問題ではなく、キリスト教教会の問題でした。
 この時代には、キリスト教は既に一枚岩ではなくいくつかの宗派に分裂して
 いました。そしてこのグレゴリウス十三世の改暦は、あくまでもローマ教皇
 を頂点とするカソリックだけに通用する改暦であるとして、他の宗派はこれ
 を認めず従来の暦、従来の計算方法を踏襲したのです。

 グレゴリウス暦はそれまでのユリウス暦に比べて暦としては優れたものであ
 ったため、カソリック以外の宗派やキリスト教以外の国々にも徐々に浸透し
 てゆきました。

 ですが、それでも宗教行事については、ニカエア公会議当時の暦、当時の規
 則を遵守するという宗派があり、この結果再び復活祭の日付は二つに分かれ
 てしまいました。

 現在カソリック他、西方教会と呼ばれる教会では新しいグレゴリウス暦によ
 る復活祭を、ギリシャ正教他の東方正教会と呼ばれる教会ではユリウス暦に
 よる復活祭を祝っています。
 といいながら、今年は珍しく西方教会・東方正教会とも同じ日付になりまし
 た。目出度い?


  (『暦のこぼれ話』に取り上げて欲しい話があれば、
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オリジナル記事:日刊☆こよみのページ 2007/04/08 号

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