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■田の実の節供
 本日は旧暦 8/1。八朔(はっさく)とも呼ばれる日です。
 八朔は、二百十日、二百二十日と並ぶ悪天候の厄日で、三大悪日などとも呼
 ばれる日。今年はたまたまですが八朔と二百二十日が重なりました。
 二つ重なって、ますます心配となるか、三大悪日が二日で済むので目出度い
 のか? 目出度い方だと思いたいですね。

 さて、八朔の時期の嵐が特に恐れられた理由としてこの時期が稲作における
 収穫の直前の時期にあたるからと考えられます。

 一年かけた収穫の直前で嵐によって、田の実りが台無しになる恐怖は相当な
 ものだと想像出来ます。何とかこの時期に嵐が来ず、無事に収穫が得られる
 ことを、それこそ神仏にたのみたいような日だったと思います。
 この思いからか、八朔の日には別の呼び名が出来ました。
 それが今回のタイトル、田の実の節供です。

◇田の実の節供
 「たのみの節供」は「田の実の節供」とも「頼みの節供」とも書きます。
 元々八朔の日には農家の人たちが田の神に供え物をして豊作を祈る行事でし
 た。そのうちに、収穫したばかりの早稲の稲穂を知人や主家など、世話にな
 ることの多い人に送って豊作を祈願する祝いの日となりました。
 田の神に豊作を祈ることから「田の実」であり、いつも世話になる人々を通
 して神仏に「頼み」する日であったわけです。

 この時期は稲の穂が出始める時期(現代の稲は早稲種が主流となったので、
 初穂の時期は早まっています)だったため、この時期に大きな嵐が来ないこ
 とを必死で頼み込んだのでしょう。


◇頼みの節供
 元々は農民の「田の実の節供」でありましたが、日頃お世話になっている人
 に贈り物をして感謝する日(「これからもよろしくお頼みします」という意
 味で)ともなりました。

 「田の実」から「頼み」となると、農民だけの行事である必要はなくなりま
 す。こうして「頼みの節供」は町家の間でも流行するようになりました。
 町家では、頼みの節供にはそれぞれに贈り物をして祝賀する日と捉えられる
 ようになりました。

 この習慣は武家社会にもやがて浸透して行き、武士の間でもこの日に贈答が
 行われるようになりました。ただしこちらは「八朔の祝い」などと呼んだよ
 うです。


◇徳川の時代の八朔の日
 「八朔の祝い」が武家の間にも広がったのにはもう一つ理由があります。
 それは、徳川家康が始めて江戸城に入った記念の日が「八月朔日」、つまり
 八朔の日だったと言うことです。

 徳川幕府においてはこの日は目出度い記念日。
 諸大名や直参旗本たちはこの日は、白帷子の正装で江戸城に登城し、将軍家
 に祝詞を述べる日となっていました。

 やがて、この武家の白装束の登城の様子を模すように有名な遊郭であった吉
 原でも、遊女たちが白無垢の装束に身を包んで花魁道中を行うようになりま
 した。
 町人たちはこの日、なじみの遊女にこの白無垢や、純白の絹布団など、豪華
 な贈り物を競い合って行うようになり、この豪華さの競争が江戸の町の話題
 をさらう年中行事となったそうです。

 はじめは田の収穫を祈る行事から花魁道中まで、一つの行事でも時代と共に
 人と共に随分変化するものですね。


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オリジナル記事:日刊☆こよみのページ 2007/09/11 号

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