こよみのぺーじ 日刊☆こよみのページ スクラップブック  (PV , since 2008/7/8)
■粽と柏餅
 本日はこどもの日でお休み。
 こどもの日と言えば「端午の節供」として知られる 5/5です。
 本日は端午の節供定番の品から、粽(ちまき)と柏餅の話をしてみようと思
 います。

◇粽(ちまき)
 粽を「チマキ」は茅(チガヤ)で巻いた餅なので、この名になりました。
 今はチガヤ以外に笹や葦(アシ)の葉で巻く事が多いと思います。茅の葉は
 それほど幅広いものではないですから、こちらの方が現実的だと思います。

 さて粽の始まりですが、これは端午の節供とは直接は関わりのない中国の祭
 りの供物だったと考えられています。
 この祭りというのが中国の戦国時代、楚の政治家であり、詩人であった屈原
 (くつげん)を弔うためのものでした。

 屈原は、日本においては詩を文学にまで引き上げたとされる大詩人として知
 られていますが、楚と秦の連合に反対したため政界を追われ、祖国楚が誤っ
 た選択をした事を嘆きながら汨羅(べきら)という河に身を投げて亡くなっ
 た憂国の政治家でもありました。

 楚の人々はこの屈原の死を悼み、屈原が汨羅に身を投げた日 5/5にこれを供
 養するために毎年この日に汨羅に蒸した米を竹筒に詰めたものを投げ込むよ
 うになりました。
 屈原のなくなった日がたまたま端午の節供と同じ日付であったところから、
 このお供えの粽がやがて端午の節供の食べ物に変わってしまったようです。

 元々は竹に詰めた粽が、「茅巻き」に変わった理由について、わからなかっ
 たのですが茅には疫病を祓う力がある植物だと考えられていたふしがありま
 す(「茅環くぐり」の行事などにそれが感じられます)ので、端午の節供が
 梅雨時期の邪気を祓うための行事でもあったことを考え合わせると、単なる
 偶然とは思えません。

 何か理由が見つかれば、またいつか書くこともあると思います。
 それまでは「謎のまま」としておきましょう。
 (知っている方がいらっしゃれば教えてください)

◇柏餅(かしわもち)
 粽は中国伝来のものでしたが、それに対して柏餅は日本生まれの食べ物です。
 生まれたのは、江戸時代。寛永年間(1624〜1644)頃といわれます。

 江戸時代はそれまでの戦国時代などと違って安定した時代で、この時代の武
 士たちは、家禄世襲制のため出世の可能性が少ない代わりに、よほど大きな
 失敗がなければ、子孫が残ればこの家禄も代々受け継ぐことが出来ました。
 してみると、武士の一番大切な任務は自分の代で家系を途絶えさせないこと。
 (最たるものが徳川幕府のシステムですね)

 柏の葉は次の世代の葉の芽が出るまで古い葉が落ないと言われます。これは
 次の世代が現れるまで前の世代がなくなることがない、つまり代々子孫が絶
 えることなく家が続くことを象徴する目出度い植物だと言うことです。

 端午の節供は男児の節供。
 男系子孫への家督相続が基本でありましたから、端午の節供を祝ってもらえ
 る子供達は将来家督を相続する可能性のある子供達。
 柏の葉のように、無事に育って家を継いでくれと言う願いを込めた柏餅だっ
 たようです。

 柏餅は主に関東で作られる祝いの餅で、関西地方では昔は作られていなかっ
 たとも聞きます。そう言えば東北出身の私には「柏餅」は珍しくもなかった
 のですが、西日本に住むようになってみると、柏餅に似たものはあるのです
 が、巻いている葉が柏ではない場合が多々みられました(この辺りだと、サ
 ルトリイバラの葉が使われます)。

 不思議に思っていたのですが調べてみると理由は簡単、柏の葉がなかったの
 です。柏は北方の植物で西日本にはほとんど自生していないのです。たしか
 にこの辺の山で柏の葉っぱを見かけたことがなかったです。
 柏の葉がないのでは、柏餅が作れないのもしかたがない。


 端午の節供には粽、粽に飽きた頃には餡このつまった柏餅というのが、私の
 子供の頃の端午の節供の思い出。
 大人になっても甘い物好きの私は、今日も

  端午の節供だから

 と理由を付けて、好きな粽と柏餅を食べようと目論んでおります。


  (『暦のこぼれ話』に取り上げて欲しい話があれば、
   magazine.sp@koyomi.vis.ne.jp までお願いします。)

オリジナル記事:日刊☆こよみのページ 2008/05/05 号

こよみのぺーじ 日刊☆こよみのページ スクラップブック