こよみのぺーじ 日刊☆こよみのページ スクラップブック  (PV , since 2008/7/8)
■七夕には素麺?
 今日は七夕。
 七夕は「七夕(シチセキ)の節供」。人日、上巳、端午、重陽と並ぶ立派な
 五節供の一つです。
 七夕の節供や五節供に関してはWeb こよみのページの「暦と天文の雑学」の
 中に解説記事がありますのでお読み下さい。

  七夕(七夕の節供・七夕の節句)
   →http://koyomi8.com/reki_doc/doc_0728.htm
  節句の話・五節句(五節供)とは
   →http://koyomi8.com/reki_doc/doc_0724.htm

 節供の主な内容については上記のWeb ページに任せるとして本日は七夕の節
 供にちなむ食べ物の話をしましょう。
 節供といえば、その節供にちなんだ食べ物が登場するものですが、七夕の節
 供にちなんむ食べ物といって、何か思い浮かびますか?

 端午の節供の粽(ちまき)のように、誰もが知っていると言うほど知名度の
 高い食べ物ではないのですが、「素麺(そうめん)」が七夕の日に食べる食
 べ物とされています。ご存じでしたか?

◇素麺のルーツは「索餅」
 七夕の日に素麺を食べると書きましたが元は素麺ではなくて「索餅(さくべ
 い)」という食べ物でした。
 索餅は中国からやって来た菓子の一種で、米粉と小麦粉混ぜて練り合わせ、
 細く伸ばして何本もこれを束ねた唐菓子です。菓子といっても甘いものでは
 なかったようです。別名「むぎなわ」とも。

 索餅に関しては延喜式( 927年)にも登場する食べ物ですから、随分と昔か
 ら知られたお菓子だったのでしょうが、現在ではどんなものだったのかその
 正体がわからなくなってしまいました。
 ただその製法や形状から、これが後のうどんや素麺へと進化していったと言
 われています。

◇7/7 と索餅の関係
 さて、七夕の日にたべる素麺のルーツ索餅と七夕の関係ですが、じつはこれ
 が関係ない。
 伝説によれば、その昔中国を治めた高辛(こうしん)氏の子が幼いうちに亡
 くなり、やがて疫病、「瘧(おこり)」の鬼神となって人々に害を為すよう
 になりました。

 困った人々がこの子の命日である 7/7に、この子が生前好んでいたお菓子、
 索餅を供えたところ、「瘧」が起こらなくなったことから、この日に索餅を
 供え(そして、後で食べる)ると、病気にかからないようになるという呪い
 となりました。この行事が日本にも伝えられ、七夕の日には索餅をとなった
 というのです。織姫も牽牛も全く関係の無い話です。

◇素麺を食べる日となったのは、いつ頃から?
 さて、この七夕の日に素麺(索餅の子孫?)を食べる慣習はいつ頃からあっ
 たのかというと、19世紀初頭ではまだまだ少数派だったようで、こうした慣
 習があったのはごく一部の地域だけという記録が残っています。これが19世
 紀も中頃の江戸の様子を描いた「東都歳時記」(1838刊)では、

  貴賤の別なく二星に供物をし、家々では冷素麺を食べた

 と書かれるようになっています。少数派から多数派への転身はわずか30〜40
 年で為されています。素麺だけにちょっとの時間で「伸びた」んですね。

 さて、今夜は七夕。
 皆さんは七夕の夜に、素麺を食べることになるのでしょうか?
 

  (『暦のこぼれ話』に取り上げて欲しい話があれば、
   magazine.sp@koyomi.vis.ne.jp までお願いします。)

オリジナル記事:日刊☆こよみのページ 2008/07/07 号

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