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■復活祭はなぜ移動するのか
 2009/04/10号で紹介したK.N さんからのお便りに

 『イエスキリストの生誕日は12月25日と決まっていますがイエスキリストが
  十字架に架けられた月日が年によって変ります。
  カソリック教では、春分の後の最初の満月の直後の日曜日が復活日と定め
  てあり、その日の前々日の金曜日にイエスキリストが十字架に架けられた
  受難の日となります。
  今年は 4月10日が受難の日で12日が復活日です。

  しかし、春分の後の最初の満月の日が一定していないためイエスキリスト
  が十字架に架けられた日も変動します。カソリック教ではどうしてこのよ
  うな方式で受難の日/復活日を定めたのでしょうか。』
  (K.N さんのメールより抜粋)

 とありました。カトリックでは年間の典礼祭儀の日取りを厳密に定めた典礼
 暦があります。典礼暦によって定められた祭儀の日取りは、イエスの降誕を
 祝う降誕節のように暦日に固定されたものがある一方で、年毎によって移動
 する祝祭日があります。

 キリスト教にとって最も大切な祭日である復活祭はこの移動祝祭日の一つで
 あるため、その日付は年毎に異なります。

◇復活祭の「日付」とは?
 なぜ復活祭の日付はこのように移動してしまうのでしょうか?
 その理由は復活祭の日付は現在使用している暦とは異なる暦によって定めら
 れた祭日であったためです。

 復活祭の日取りは聖書にあるイエスの受難と復活の記録から推定されたもの
 です。考えてみれば当然のことですが、イエスが人として生きた時代、生き
 た世界はユダヤ教の世界でした。
 その受難の物語りもユダヤ教の過越祭から始まります。

 過越祭はユダヤ教の大祭日である過越節を祝う祭りで、ユダヤ教の世界で使
 われるユダヤ暦はこの過越節を定めるところから作りはじめられる暦でした。

 ユダヤ暦での過越祭は「ニサン(Nisan) の月の14〜21日の間」。聖書の記
 述によれば、イエスの受難はこの過越祭にイエスがエルサレムを訪れたとこ
 ろから始まり、金曜日に十字架に架かって日曜日に復活したとされています。

 この受難と復活が起こった世界の暦日はユダヤ暦で記録されていたはずです
 し、その復活を祝う行事が原初のキリスト教徒の間で行われていたときにそ
 の日取りを決めるために使われた暦も当然ユダヤ暦であったはずです。なぜ
 なら彼らの生きた世界では、ユダヤ暦が日常の暦として使われていたはずだ
 からです。

 一部に例外はあったようですが、多くの原初キリスト教徒は復活日をユダヤ
 暦で求められるユダヤ教の過越祭の期間の日曜日に祝っており、この慣習が
 固定化して、これが現在の復活祭の日付の計算の元となりました。

◇復活祭の日付が変わるのは、旧暦の日付を新暦で表しているから
 さて、ユダヤ教の過越祭の期間の日曜日を復活祭の日付とするのなら、ユダ
 ヤ暦のカレンダーを入手すればよいわけですが、キリスト教がキリスト教と
 して確立し、ユダヤ教とは違った道を歩むようになると、このユダヤ暦によ
 って復活祭を祝うという方式が問題となりました。

 ユダヤ暦は太陰太陽暦の一種で、時々閏月が挿入される暦でした。
 閏月が挿入されるか、されないかでは一年の日数が30日も異なる暦です。
 困ったことに、この閏月は計算で求められるものではなくて、作物の出来な
 ど幾つかの要素を観察、検討して閏月の挿入の有無をユダヤの最高法院の会
 議で決定するという経験的暦法でした(四世紀以降は計算方式となった)。

 ユダヤ暦を使って復活祭の日付を決めるということは、キリスト教徒にとっ
 て最も大切な祭日を異教徒が勝手に決める暦で祝わなければならないと言う
 ことになります。これは教会としては受け入れにくいことです。
 こうした事情からキリスト教の各教団は、ユダヤ暦から独立して、自分たち
 で独自に復活祭の日付を決定することが必要になりました。

 この時、復活祭を「○月×日に固定」としていれば何も悩むことは無かった
 のでしょうけれど、復活祭の独自計算の動きが起こったときには、既に

  復活祭は過越祭の期間の日曜日

 という慣習が広く行き渡っていて、これを変更することは出来ない状況にな
 っていたのでしょう。そのため、復活祭の独自計算は

  ユダヤ教の過越祭の時期を独自の方法でシミュレートする

 というものにならざるを得なかったのです。
 シミュレートするためには幾つか条件が必要ですが、過越祭にかかわる部分
 で考えれば、

  1.ユダヤ暦は太陰太陽暦である(繊月が見えた夕方が 1日となる)
  2.ニサンの月は春の月である
  3.過越節はニサンの月の15日で、この日は月・水・金曜日とはならない。

 といったことあげられます。
 これをどのようにシミュレートするかは考え方によって幾通りかの方式があ
 りますから、二世紀頃にはこの方式について各派によって何度も論争が行わ
 れました(「パスカ論争」と呼ばれます)。
 キリスト教の教会毎に復活祭の日取りが違うのはもちろん好ましくありませ
 んから、この論争に終止符を打って、統一した方式にしようと開かれたのが、
 AD 325年のニケア公会議でした。

 こうして復活祭の日付の計算方式は統一されましたが、この経緯を見れば解
 るとおり現在の復活祭の日付は

   太陰太陽暦の日付を太陽暦の日付で祝っている

 ようなものです。日本でいえば、旧暦の正月が新暦の何日から始まるかと言
 った問題と似ています。
 元々一年の日数も暦月の日数も異なり、一日の始まりの時刻すら異なる暦で
 決められた日付を別の暦で表そうとしているのですから、日付が変動してし
 まうのも無理からぬことなのです。

◇最後に
 「復活祭は春分の後の最初の満月の直後の日曜日」と一口に言いますが、実
 はこれには様々な問題が含まれていて簡単な話ではありません(「春分」、
 「満月」といっても天文学的な春分日、満月とは異なる)が、そこまではと
 ても書き切れませんので、今回はこのあたりの話は何も触れませんでした。

 また、「キリスト教の復活祭」と言いながら、現在の話については、カトリ
 ックの典礼暦に頼って書いています。他の宗派によっては違いがあるはずで
 すが、そうした資料を私がもっていないため、言及することが出来ませんで
 した。悪しからず。

  (『暦のこぼれ話』に取り上げて欲しい話があれば、
   magazine.sp@koyomi.vis.ne.jp までお願いします。)

オリジナル記事:日刊☆こよみのページ 2009/04/12 号

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