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■「天行二日を違う」の意味・・・宣明暦のずれ
 昨日(2009/09/18)に、ウィキペディアの「月見」の項目にとんでもない間
 違いがあると、皆様の注意を喚起しましたが、その後あまりにおかしな点は
 削除させて頂きました。
 削除に際しては、削除した理由として間違いの内容をウィキペディアのノー
 トに書いておきましたが、書きながら今回のような誤解の多くは宣明暦がそ
 の使用年の末期に

  「天行二日を違う」

 と、暦と実際の天体の位置の違いを指摘されたことが誤解されて伝わってい
 るようだと感じましたのでこの話を取り上げます。
 今日は、ちょっと「日常の暦の話」からは離れてしまいますが、ご容赦願い
 ます。

◇宣明暦のずれ
 宣明暦は日本においては、AD 862年〜1684年までの実に 823年もの長期に渡
 って使用された暦です。この長さは日本で実際に施行された暦としては最長。
 世界的に見てもはっきりした暦法が示された暦としては、ユリウス暦に次い
 で 2番目に長い暦です。

 この暦は中国生まれですが、本国ではAD 822〜 892年の71年使われた暦です。
 中国に比べてそれが伝来した日本だけが、こんなに長い間この暦を使い続け
 たのは、大陸との行き来が減って新しい暦が輸入されなくなったことと、暦
 博士等の高度な技術職まで世襲制が浸透して、新しい暦の研究など行えるだ
 けの実力のある暦職者がいなくなってしまったこと、それと宣明暦使用の時
 期の後半は日本は戦国時代で、暦どころでは無いという社会情勢のためでし
 ょう。

 ただ、もう一つ忘れられやすい理由があります。それは宣明暦が優秀な暦で
 あったため、こんなに長い間使われ続けても大きな破綻を来すこともなかっ
 たということがあります。
  800年も使われた挙げ句「ずれている、ずれている」と批判されることにな
 った宣明暦ですが、決して悪い暦では無かったのです。

 さて、こんな善暦であった宣明暦も 823年も使われていてはずれも蓄積しま
 す。その中でも得に顕著だったのは暦の計算の起点とされる冬至の日付のず
 れでした。

 原因となったのは宣明暦の計算に使われた一年の長さです。これは「章歳」
 と呼ばれるもので、宣明暦の章歳は

  3068055分 → 365.2446日

 であったことです。ちなみに単位に「分」とありましたがこれはその当時の
 暦計算に使われた時間の単位で、「1日 = 8400分」とされたもの。現在の分
 とは異なります。
 この長さは、現在の一年(一太陽回帰年)365.2422日と比べると

  0.0024日 (約3.5分・・・ちなみにこの分は現在の時刻の分)

 だけ長いのです。ほんの小さな差という気もしますが 823年分もこの差が蓄
 積されると

  0.0024日 × 823 ≒ 2日

 の差となって現れました。このため暦で計算される冬至などの二十四節気の
 日付はこの 2日分ずれてしまうことになります。暦の上の冬至の日は、実際
 の冬至の日の 2日後となってしまうといったずれが起こりました。

 二十四節気の日付がずれると、閏月が入るべきところに入らなかったり、違
 うところに入ってしまったりという問題が起こります。これが、宣明暦が実
 際の天体(この場合は太陽)と 2日違っているという批判になったのでした。

◇暦月の日付が 2日ずれるわけではない
 さて、二十四節気の日付が 2日ずれる話を書きました。しかしこの影響は、
 暦月の日付についてはほとんど影響しません。
 なぜなら、宣明暦など日本で使われた太陰太陽暦の暦月の日付は、

  新月(朔)の日を一日(朔日)として数える

 からです。この新月(朔)月と太陽のなす角(黄道座標での経度方向の角度
 の差)が 0°となる瞬間です。ですからこれには

  太陽の動きと月の動き

 双方の動きがかかわります。
 太陽の位置に「天行二日の差」があったとしても、太陽の動く速度は 1年で
 一回り(360°)動くわけですから 1日にすれば、ほぼ 1°、つまり2日分の
 差といっても角度では 2°の差にしか過ぎません。

 一方、もう一つの天体月はというと約27.3日で一回り( 360°)してしまい
 ますから 1日の移動量を考えるとおよそ13°と大変速い動きのため、太陽と
 月のなす角の変化は 1日あたり12°以上もあります。

 つまり「天行二日の差」は暦月の昨日を決める月と太陽の角度の差という観
 点から見ると、

  2° ÷ 12°≒ 0.17日 ≒ 4時間

 程度の差にしかならないのです。
 よって、暦の日付が 2日も違ったというようなことは起こるはずがないので
 す。

◇日食がその証拠
 太陰太陽暦は暦月の一日(朔日)は新月ですから、新月にしか起こらない日
 食が観測されるのは暦月の一日ということになります。
 もしよく誤解されるように宣明暦の日付がその使用期間の末期(1600年代)
  2日もずれていたとしたら、日食は暦月の27か、28日に起こっていることに
 なりますが、そんなことはなくきちんと一日に日食は起こっていました。

 このように暦の日付が 2日も違っていたとまことしやかにいわれる宣明暦で
 すがこれはとんでもない誤解。
 「天行二日を違う」なんていう書き方をしているためあまり暦に詳しくない
 方(現在に限らず昔の人もおなじこと)が誤解してしまった結果生まれた嘘
 なのです。

 今回、ウィキペディアに掲載された不思議な「月見」の解説はこの間違った
 解釈をそのまま受け取ってしまった方が書いてしまったものだと思われます。
 今回書いたとおり、暦法的に考えても日食の記録などからしてもこれは明ら
 かに間違いだと言えるものでした。

 なお、ウィキペディアの「月見」の今回の間違いに関しては、以上の説明以
 外にも幾つか証拠をあげて、「おかしな箇所を削除させて頂きました」とそ
 の編集ノートに書いております。まあ、普通は「ノート」まで開かれること
 は無いと思いますが、興味のある方はご覧下さい。

  (『暦のこぼれ話』に取り上げて欲しい話があれば、
   magazine.sp@koyomi.vis.ne.jp までお願いします。)

オリジナル記事:日刊☆こよみのページ 2009/09/19 号

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