こよみのぺーじ 日刊☆こよみのページ スクラップブック  (PV , since 2008/7/8)
■月人発見記
 『おどろきのあまり身ぶるいしたのは、どんな鳥ともまったくちがう大きな
  長い翼をもつ動物が、西側の断崖からゆっくりした動作で平地へ舞い降り
  るのを見たからであった。彼らは着地すると、翼をたたんだ。そして東方
  の小さな森へ向かって、姿勢の正しい権威ある態度で、立って歩いたのだ。
  
  ・・・彼らを観察しているうちに、彼らは明らかに会話をしているようで
  あった。話をしているかのように、手や腕を使っていたし、感服したり、
  強調しているように見えるのだ。われわれは科学的に、”コウモリ人間”
  と命名した。彼らは疑いなく無邪気であり幸福そうな生物だ。』
   《斉田博著「おはなし天文学」より抜粋》

◇月に住むもの
 今月2009年の10月は中秋の名月(10/3)があり、後の月(10/30) があると
 いう、一月に 2度の月見の出来る月見の当たり月です。
 団子を供えて眺める月の上では、ウサギがせっせと餅を搗いている・・・と
 いうのが日本では広く知られたお話。
 ある時、月を見ながら

 「月の暗い模様がウサギが餅を搗いているように見えたのでこんな風に云わ
  れたのですね」

 と話したところ、「え、じゃあ本当は月にウサギはいないんですか?」と真
 顔で聞き返されて答えに窮したことがあります。質問者は、私と同世代かな
 という大人の方。答えに窮した理由は、なにも私が月に行ったことが無く、
 月の野山(?)を駆け回ってウサギを探し回ったことが無いからという理由
 で無いことは多分ご理解頂けると思います。
 「月にウサギはいないんですか」が上手いタイミングの冗談だったのならい
 いのですが。

 餅を搗いているウサギの他に、カニがいたり、薪をを背負った人がいたり、
 美女がいたり、カエルがいたりといろいろな人や動物が月にはいると考えら
 れました。世界の人々は月を眺めては、その表面に見える微かな模様をいろ
 いろなものに見立てて、神話や伝説と結びつけて考えたのでした。

◇アメリカの新聞に掲載された月人発見記
 冒頭に引用した文章はこうした神話や伝説とは全く違うもので、19世紀のア
 メリカの新聞に掲載されて大評判になった記事なのです(孫引きで済みませ
 んけれど)。

 掲載した新聞は、1833年にニューヨークで発行されていた「サン(SUN)」と
 いう新聞です。月人発見の記事が掲載された 1835/8/28のことでした。今か
 ら 170年ほど前の話です。
 この記事は大評判となり、ニューヨーク・タイムズ紙や雑誌ニューヨーカー
 誌でも

  「すべてありうるもっともなことだ」
  「天文学と科学一般の新時代」

 と論評する有様。
 一部には記事を疑った人々もいたようですが、そうした人々の疑問や批判は
 世間の熱狂的な月人騒ぎの騒音にかき消されてしまいました。
 いくら 170年前の話とはいえいきなりこの「月人発見」の記事が載ったら信
 じられなかったかも知れませんがこの新聞記事はなかなか上手く人々を誘導
 していました。

 月人を発見したとされた天文学者はイギリスのジョン・ハーシェル。天王星
 の発見で知られたウィリアム・ハーシェルの息子です。父親ほど有名ではあ
 りませんが息子のジョン・ハーシェルも二重星の観測とそのカタログ作りの
 功績を高く評価された天文学者でした。月人発見記事に使われたのはこの息
 子のハーシェルが真面目な天文学的な目的、南半球で見える二重星や星雲等
 のカタログ作りのために南アフリカに渡って行った観測でした。

 当時のこと、どんなでっち上げ記事を書いたところでアメリカの新聞に書か
 れた記事の内容が南アフリカで観測しているハーシェルに伝わるまでは数ヶ
 月もかかるし、これに対してハーシェルが抗議したとしても、その抗議が伝
 わるまでまた数ヶ月・・・。記事が話題になりさえすれば記事が出た後、数
 ヶ月〜半年もして抗議を受けても、何とかなると考えてこのセンセーショナ
 ルな記事をでっち上げたようです。

 この話しの始まりは1835/08/21の号に掲載された何でもない次の記事から。

 『喜望峰にいるジョン・ハーシェル卿は、まったく新しい原理による巨大望
  遠鏡を使って、かずかずのおどろくべき発見をなしとげたということであ
  る。』

 続報によればこの望遠鏡は、レンズの直径 7.2m、重さは 7トン。
 倍率は 42000倍で月を 90mの距離から眺めるほどに見えるというもの。
 この倍率 42000倍という数字を見れば望遠鏡を使ったことのある人ならもう
 眉に唾をつけてしまうところですが、今も昔も望遠鏡は倍率が高いほど高性
 能だという誤った神話が一般の人々には信じられていたのでしょう。
 多くの人がこのとんでもないでっち上げ記事に踊らされました。

 記事にはご丁寧に「エジンバラ科学ジャーナル増刊号からの再録」というク
 レジットまで入っていたので、真面目な報告だと誤解を助長することになっ
 たのでしょう(なお、「エジンバラ科学ジャーナル」という雑誌はこの当時
 には既に廃刊になっていたそうです)。

◇物語の終焉
 「月人発見」で大騒ぎになり、続報が期待された新聞「サン」ですが、この
 新聞は意外な方法でこの記事の連載に幕を引きます。それは、

  ハーシェル卿の望遠鏡が故障!

 というものです。それも夜の観測を終了後、望遠鏡のレンズを外すのを助手
 が忘れた為、朝日がレンズに入って天文台に火災を起こしたというふざけた
 故障原因での幕引きでした。

 やがて、熱狂の波が退いて冷静になってみると記事はやはりおかしなところ
 が多く、「でっち上げでは?」という批判が高まります。やがて記事を書い
 た人物も記事の内容は自分が勝手に捏造したものと告白して、天文学史上に
 のこる「月人でっち上げ事件」となりました。

 いい迷惑なのは、その頃真面目に南アフリカで地道な天体観測を続けていた
 ジョン・ハーシェル。
 沢山の問い合わせや、月人に聖書を送りたいのでお金を寄付しますと云った
 手紙が届いて困っている・・・と母親に当てた手紙に書いていたそうです。

 今は流石に「月人発見」と云ってもだれも信じないと思いますが、どうかな?
 そう言えば今でも日本の「○スポ」なんていう新聞には宇宙人発見の話しが
 載ることがあるようですから、 170年経ってもあんまり変わらないのかな?

 次のお月見、10/30 の後の月の上に見つかるものは、餅を搗くウサギか、は
 たまた翼の生えた月人か?
 さてどっちでしょうかね。

  (『暦のこぼれ話』に取り上げて欲しい話があれば、
   magazine.sp@koyomi.vis.ne.jp までお願いします。)

オリジナル記事:日刊☆こよみのページ 2009/10/24 号

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