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■進朔と天正十年・十一年の暦日相違
 先日、「晦日の月と進朔 (http://koyomi8.com/doc/mlwa/200912070.htm)」
 を書いたところ、進朔に関すると思われる暦日相違の話についてWeb こよみ
 のページ掲示板に書き込みを頂きました。
 書き込みをなさったみよこさんから了解が得られましたので、話の始まりと
 してその書き込みの一部を引用させて頂きます。

  (略)
 > さて、織田信長が本能寺の変で殺された背景には、朝廷の信長に対する反
 > 発があったという説があります。
  (略)
 > 天正10年から11年にかけての暦は、京都の朝廷が作った暦では天正11年正
 > 月の後に閏正月を、信長の本拠地である尾張の暦では天正10年12月の後に
 > 閏12月をおくことになっていました。
 > 信長は尾張の暦を支持し、朝廷に、閏正月ではなく閏12月を置くように要
 > 請しました(ここまでは史実のようです)。
 >
 > 本来、朝廷の専権事項である作暦に信長が口を出すとは何事か!というこ
 > とで、朝廷が明智光秀を裏であやつって、本能寺の変を引き起こさせたの
 > ではないか、ということです。
  (略)
 > ところで、私がわからないのは、なぜ朝廷の暦は進朔をおこない、
  >尾張の暦はおこなわなかったか?です。微妙な計算の違いでこう
 > なったのでしょうが、はっきりとはわからないのでしょうか?

 さてここで問題となった異なった暦とは、朝廷の認めた京暦と関東一円で広
 く使用されていた三嶋暦(みしまごよみ)と考えられます。

◇三嶋暦とは
 三嶋暦は伊豆の三島神社から刊行された暦で、日本最古の印刷暦だと言われ
 ています。その歴史は京暦に次いで古く、「三嶋」と言えば印刷暦のことを
 指すほど普及した暦で、14世紀後半には既に存在していたと考えられていま
 す。

 昔々は、京の都から遠く離れたところではなかなか暦が手に入らず不便であ
 ったことから、各地で地方独自の暦が発行されるようになりました。三嶋暦
 はそうした地方暦の雄と言って良い存在です。

 さて、暦の計算とは大変なので(今はまだ計算機がありますからいいですけ
 ど)、地方暦でも京暦の計算結果を使って暦を作るところも多くあったので
 すがこの地方暦の雄、三嶋暦は宣明暦の暦法に従って独自に計算して作って
 いた暦です。このため、時々三嶋暦と京暦との間に日付の相違がありました。

 実は既に書いた「14世紀末には存在していた」と考えられる証拠の一つは、
 関東に旅した人が、その地の暦と京都の暦の日付が 1日違っていたことに驚
 いてそのことを日記に記録したものなのです。

◇天正十年・十一年の暦日相違
 「みよこさん」の書き込みに既にあるように天正十年・十一年の暦日相違に
 は進朔が関係しているようです。この年が特に問題になった理由は、年の初
 めである正月が二つの暦の間で一月もずれてしまったからです。

 当時の暦は太陰太陽暦で、朔(新月の瞬間)を求めて暦月の始まりを決定し、
 この暦月に含まれる二十四節気の中気によってその暦月が何月になるかを決
 めるものです。では、この規則に則って天正十年の年末から十一年の年始の
 辺りの朔と中気を計算してみましょう。

  A月  朔:1582/12/25 (小余:4349分)
     大寒:1583/01/23 (小余:3116分)・・・十二月中気
  B月  朔:1583/01/24 (小余:1590分)
  C月  朔:1583/02/22 (小余:6352分)
     雨水:1583/02/22 (小余:6787分)・・・正月中気
  D月  朔:1583/03/24 (小余:1832分)
     春分:1583/03/25 (小余:2058分)・・・二月中気

 参考に朔と中気のの西暦月日を入れています。()内の小余とは、朔や中気
 の 1日以下の正確な時刻を表すものです。宣明暦では 1日を8400分と数える
 時刻の単位を用いていましたので、例えば小余が5000を今風の時刻で書くと

  5000 ÷ 8400 × 24 ≒ 14.2857 → 14時17分 9秒

 となります。
 上のA〜Dの暦月に中気を使って名前を付けると次のようになります。

  A月:十二月 B月:閏十二月 C月:正月 D月:二月

 となります。これが三嶋暦の天正十年〜十一年につけられた月名です。これ
 に対して京暦はどうなっていたかというと、

  A月:十二月 B月:正月 C月:閏正月 D月:二月

 これを見ると京暦が間違いのように見えるのですが・・・問題はC月の朔の
 小余、6352分です。6352分を今の時刻で表すと、

  6352 ÷ 8400 × 24 ≒ 18.1486 → 18時 8分55秒

 となります。宣明暦の進朔限は 3/4日、つまり18時ですからC月の朔はこの
 進朔限を越えています。よって暦上ではこの朔の日付は一日進めて

  C月  朔:1583/02/22 → 進朔して 1583/02/23

 となります。正月中気の雨水の日付が1583/02/22ですから、こうなると正月
 はC月ではなくて一つ前のB月がそれに該当するようになります。そしてC
 月には暦月名を決める中気が含まれないことになるのでこの月が閏月となり
 ます。

 このように正しく宣明暦の暦法を適用すると京暦の「十二月・正月・閏正月」
 が正しい並びで、三嶋暦の採用した「十二月・閏十二月・正月」は間違いと
 なります。計算上でわずか 8分55秒の差が正月の位置を一ヶ月も変えること
 になってしまったのです。当時は計算機もなく全て人力による計算、そんな
 計算をずっと続けて行くと誤差の累積などもあってこれくらいの計算違いは
 結構あったのでしょう(あっちゃいけないことですけれど)。たまたまこの
 年はその影響が「正月」に出てしまった。ついていないこと。

 これを書いているのは師走の半ば。そろそろ正月の準備を・・・と考え始め
 るころですが、暦のちょっとした計算違いで正月が一ヶ月も違ったら・・・。
 誰だって、「どっちの暦が正しいのかはっきりさせて!」と言いたくなりま
 すよね。その気持ちは理解出来ますが、私としては三嶋暦を計算していた人
 達の気持ちもちょっぴりわかります。
 影響が出たのが正月でなかったらね、ついてなかったのかな?


  (『暦のこぼれ話』に取り上げて欲しい話があれば、
   magazine.std@koyomi.vis.ne.jp までお願いします。)

オリジナル記事:日刊☆こよみのページ 2009/12/12 号

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