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■今何時? 混乱していた江戸の時刻
 奥の細道で知られる芭蕉には、「芭蕉隠密説」というものがあります。
 そもそも、どうして諸国を巡ったのだろう。ひょっとして奥の細道は、隠密
 として諸国の内情を探った芭蕉の隠れ蓑では・・・といったもの。
 いつの世にも、何処の国にも「陰謀説好き」はいるものです。

 さて、この芭蕉隠密説の根拠の一つとしては、芭蕉の超人的(?)健脚ぶり
 があげられます。奥の細道の全行程は 600里、2400km以上。日数は 150日で
 すから、平均一日に16km。途中で一カ所に滞在していた時間を考慮すれば、
 移動する日には普通に20〜30kmを歩いたことになります。

 奥の細道は、芭蕉が45歳(数え年では46歳)の時にはじめた旅です。芭蕉は
 50歳で亡くなっていますから、奥の細道の旅はその最晩年に行ったといえま
 す。その最晩年の旅がこれですから。現代の私たちからするとこれだけでも
 驚異的。そんな旅の中でも時としてさらに驚きの記録が残る箇所があります。

 その一つが栃木県の鹿沼〜日光を歩いた記録。
 元禄二年三月二十九日(現在の暦で云えば1689/05/18)の記録によれば、そ
 の日芭蕉は鹿沼を「辰の上刻」に出発して日光には「午の刻」に到着してい
 ます。鹿沼〜日光の距離は約 7里(28km)。辰の刻とか午の刻という表現は
 一日を十二等分し、十二支に割り振った辰刻法(しんこくほう)という時刻
 の表現方法です。
 この辰刻法は本来は暦の計算などに使われる定時法で、現在も

  正午 (「午の正刻」の意味)

 などにその名前を残しています。この辰刻法の一辰刻は現在の 2時間に当た
 ります。芭蕉隠密説を唱える方々は

  辰の上刻( 8時頃)・・・鹿沼発
  午の刻 (12時頃)・・・日光着(この間28km以上)

 と考え、この鹿沼〜日光の記述から、芭蕉の健脚は常人の能力を遙かに超え
 たもの、きっと特殊な訓練をした隠密(忍者かな?)に違いないと考えるわ
 けです。休み無しとしても平均時速 7km。とても徒歩とはいえません。ずっ
 と小走りで通さないとまず無理ですね。やはり芭蕉は隠密か。

◇暦の時刻、日常の時刻
 この芭蕉の異常なほどの健脚ぶりは、暦を作る場合や天文の観測などに使わ
 れる定時法(一辰刻二時間)と、日常の生活で使われた時刻を混同して説明
 した結果、生まれたものと考えられます。

 今でこそ、時刻と時刻の間隔が一定であるという「定時法」はあたりまえの
 ことですが、この定時法があたりまえになるためには時計の発達が欠かせま
 せん。誰もが一定の時を刻む時計の時刻を知ることが出来る時代になる以前
 には、定時法は日常生活には使われなかったのです。

 では、日常の生活ではどんな時刻が使われていたかというと、日の出や日没
 (昼と夜と云っても良いでしょう)といった誰にでも分かる自然なサイクル
 を基準にした時刻でした。
 時代劇などでよく聞く「明け六ッ(あけむつ)」「暮れ六ッ(くれむつ)」
 と云われる瞬間を基準にした時刻がそれです。

 明け六ッは日の出のおよそ35分程前、暮れ六ッは日没のおよそ35分後で、こ
 の明け六ッから暮れ六ッの間が「昼」とされ、それ以外が「夜」と考えられ
 ました。そして、この昼と夜をそれぞれに六等分した時刻が日常に使われる
 時刻でした。

 時計など滅多にお目にかかれない時代に、この時刻を知らせる道具として使
 われたのが江戸で云えば「時鐘(じしょう)」。この時鐘は、現在の夜中の
 零時(正子)に 9回打たれそれから、8,7,6,5,4 回とそれぞれの時刻ごとに
 打たれ、 4回の次はまた 9回(正午)に戻って8,7,6,5,4 回で次に正子の 9
 回に戻って一日となります。
 明け六ッ、暮れ六ッはこの時鐘が 6回打たれるので「六ッ」と呼ばれます。

 さて、この時鐘の表す時刻は昼と夜の長さが基準となりますので、季節によ
 ってこの基準が変わってしまいます(定時でないので、「不定時法」と呼ば
 れます)。どれくらい違うかというと、夏至の時期と冬至の時期の昼夜の長
 さと一刻の長さを示せば

  夏至の頃 昼:15時間40分(2時間37分) 夜: 8時間20分(1時間23分)
  冬至の頃 昼:11時間00分(1時間50分) 夜:13時間00分(2時間10分)

 このぐらい(京都での概略値)。
 同じ一刻でも夏至の頃の昼の一刻は2時間37分、夜の一刻は1時間23分。同じ
 昼の一刻でも夏至の頃は2時間37分で冬至の頃は1時間50分と50分近い差が生
 じてしまいます。
 このあたりに、謎解きのヒントがあります。

 と書いたところで、一回で書く予定が大分長くなりすぎたので今日のところ
 はここまで。この続きはまた明日書くことにいたします。
 では明日をお楽しみに。

  (『暦のこぼれ話』に取り上げて欲しい話があれば、
   magazine.std@koyomi.vis.ne.jp までお願いします。)

オリジナル記事:日刊☆こよみのページ 2010/06/19 号

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