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■立秋の日の「立春正月」の話 ・・・ その2
 さて、本日は昨日に引き続いて「立春正月」についての話です。
 再開に際して、昨日の文章を読み直したら、随分おかしな書き方をしている
 ので、恥ずかしくなって少々書き直しました。直したものは
 http://koyomi8.com/doc/mlwa/201008070.htm にありますので、お時間があ
 ればもう一度お読み下さい。
 では、本日のこぼれ話を始めさせて頂きます。

◇amachan_001 さんのメール(抜粋)再登場
 -------------- amachan_001 さんのメール ---------------
 「置潤法」で「19年に7回閏年を設ける」と新暦と旧暦がほぼ一致するよ
 うです。
 旧暦の基本(理想?)は「立春正月」でしょうから、仮にスタートの「立春
 正月」から19年目には「2回目の立春正月」がめぐってくると思うのです
 が・・。

 ある旧暦の解説本で「立春正月」の出現は「計算できない」「それは偶然で
 しかあり得ない」と云う意味合いの事が書いてありました。

 人為的な改歴などが無ければ「19年に7回閏年を設ける」「置潤法」であ
 れば、必ず19年ごとに立春正月が来ると思うのですが如何でしょうか?
 -------- amachan_001 さんのメール ・ ここまで ----------

◇19年に 7回の閏月という置閏法
 日本で長く使われ、現在は「旧暦」と呼ばれるようになっている太陰太陽暦
 は中国から伝来したものです。日本への伝来は 7世紀末のことと考えられて
 います。

 昨日の説明で旧暦は月の朔望によって作られる暦月と、四季の巡りである一
 年という周期を表す二十四節気を上手く組み合わせた暦だと述べましたが、
 月の満ち欠けが12回繰り返される日数は約 354日、二十四節気の一巡りは約
  365日、その差はおよそ11日です。この差を放置しておくと、暦月と季節が
 どんどんずれてしまうので、おおよそ 3年の間隔で閏月と呼ばれる臨時の暦
 月を挿入する必要があります。この「閏月を何処に置くか」を決める方法が
 「置閏法」と呼ばれます。
 
 さて中国生まれの太陰太陽暦ではamachan_001 さんがお書きになった19年に
  7回の閏月を挿入するという置閏法を用いていた時代が確かにありました。
 この仕組みは、19太陽年が月の平均朔望月の 235倍とほぼ同じ長さであると
 いうことから考え出されたものです。
 1 太陽年の長さは365.2422日、平均朔望月は29.530589日ですので

  365.2422 × 19 = 6939.6018 日 ( 19太陽年)
  29.530589×235 = 6939.6884 日 (235朔望月)

 その差は0.0866日(約 2時間)だけです。つまり19年に 235ヶ月の暦月を置
 けば、19年ごとに二十四節気の巡り(太陽年)と暦月の巡り(朔望月)の関
 係がほとんど同じになることに目を付けて考え出された置閏法です。
  235ヶ月というと

  19年 × 12(ヶ月) + 7(ヶ月) = 235(ヶ月)

 と表されるもので、途中に現れた「 7ヶ月」が閏月として挿入されるべき暦
 月の回数を表しています。
 この「19太陽年 ≒ 235朔望月」という周期は、ギリシャでは紀元前 5世紀
 にメトンが発見したことから「メトン周期」呼ばれており、中国でもこれよ
 りやや遅れて発見され「章」と呼ばれました。

 この章の期間、19年に 7回の閏月を挿入するという規則に従った暦法を章法
 の暦と呼びます。これに対してこの周期は完全に一致するものではないとし
 て、この方式をとらない暦は破章法の暦と呼ばれます。

 章法の基礎になっている朔望月の長さは平均朔望月です。平均的には確かに
 なかなかよい具合に合うのですが、実際の朔望月の長さは29.3〜29.8日程の
 間で変化しますので、暦が精密化するに従って暦は必然的に破章法の暦とな
 っていきました。日本に暦が伝来した 7世紀末の頃の中国の暦はすでに破章
 法の暦へと移行していましたので、必然的に日本で使用された太陰太陽暦は、
 破章法の暦となりました。

 とは言え、数十年程度の期間で考えると章法の暦も破章法の暦もその差は極
 わずかですので、暦の専門家でもなければ暦は「19年 7閏月」という章法を
 守て作られていると考えたのも無理のないところ。
 そのためか、今もって「旧暦には19年に 7回の閏月が挿入される」と思い込
 んでいる方が多いようです。この辺、誤解の無いように。

◇現実には「立春正月」は19年ごとに巡ってくるか?
 旧暦では厳密には19年 7閏月という法則は成り立たないことはご理解頂けた
 と思いますが、とはいえ近似的にはこの法則が成り立つのなら、ある年が立
 春正月(立春の日が正月一日となる)のなら、19年ごとに立春正月となる可
 能性は結構高いのでは?
 では、どのくらいそうなるか確かめてみましょう。

 1870〜2070年までなら、すぐに使えるデータが手元にありますのでこのデー
 タを元に、立春正月の年を探してました(「立秋が七月一日になる年」も探
 してみました)。結果は次の通り。

 「立春=正月一日」となる年
  1886年(2/4), 1905年(2/4), 1924年(2/5), 1943年(2/5), 1954年(2/4), 
  1992年(2/4), 2038年(2/4)

 「立秋=七月一日」となる年
  1907年(8/9), 1926年(8/8), 1945年(8/8),  2013年(8/7), 2051年(8/7)

 年の後ろの()内は、その年の立春、立秋の日の新暦による日付です。
 ご覧の通り、立春正月について云えば 1886,1905,1924,1943までは19年毎に
 なっています。立秋七月も1907,1926,1945までもこの関係が成り立っていま
 すが、それ以降は関係が崩れてしまっています。

 どう見るかにもよりますが、立春正月は19年毎に繰り返されるは当たらずと
 いえども遠からずといったところでしょうか。ただ残念なことに、これから
 先はあまり上手く当てはまる年がありませんね。

◇旧暦は立春を基準に組み立てられた暦?
 最後に「旧暦は立春正月を基本として組み立てられた暦」ということについ
 て考えてみましょう。

 既に見たとおり「立春の日=元日」となる年というのは結構希ですが、それ
 でも旧暦の元日は平均すれば立春の日の近傍にありますので、旧暦は立春の
 日を基本に組み立てられた暦と見えてしまうのも無理ないのですが、これは
 ちょっと違うようです。
 私たちは暦月を数えるとき、

  正月、二月、三月、・・・、十月、十一月、十二月

 と数えるのが普通だと思います。
 こう数えるとすれば「暦はどの月を基準に組み立てるか」と問われれば、

  それは最初に現れる正月に決まっている

 と考えてしまいそうです。ですが、旧暦を作る場合に最初に決定する月は何
 月かというと正月ではなく、前年の十一月なのです。

 前年の十一月というのは「冬至を含む月」で、旧暦計算はまずこの冬至を含
 む月から計算をはじめ、後は暦月の区切りと二十四節気の関係から順に暦月
 名を決定してゆくのです。ですから、正月は何か特別な月ではなくて、冬至
 を含む月以降に順に割り振られた普通の暦月の一つに過ぎないのです。

 実は「冬至を含む月」から数えて何番目の暦月を年の始めの月、正月とする
 かは、暦を作る立場からはどうでもよいことで、時の政府、時の王朝が一年
 の始まりとして何時の時期が適当と考えるかにかかっているのです。

 中国では、冬至を含む月、大寒を含む月、雨水を含む月の三つの暦月は正月
 となる資格のある月と考えられており、そのどれを「正月」に据えるかは、
 王朝の考え次第ということです(この三つの月のどれを正月にするかという
 問題は「三正論」と呼ばれます)。

 中国では漢の武帝の時代から「雨水を含む月」を正月とすることが基本とな
 りました。「雨水を含む月」は平均するとその月の初めは立春の日あたりに
 なりますから、この月が正月とされればそれは「立春正月の暦」と見えるこ
 とになります。

 日本への暦の伝来は「雨水を含む月」が正月となってからだったため、とも
 すると、中国発祥の太陰太陽暦は全て立春の日が年初となるように考えられ
 た暦だと誤解されてしまう結果となっています。

◇やっと終わり
 書き終えてみると随分と散漫となってしまった今回の話。
 何時かもう一度読み直して、整理したいなというのが、書き終えた現在の心
 境。こぼれ話だけに、あちこちに話がこぼれてしまいました。反省です。

  (『暦のこぼれ話』に取り上げて欲しい話があれば、
   magazine.std@koyomi.vis.ne.jp までお願いします。)

オリジナル記事:日刊☆こよみのページ 2010/08/08 号

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