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■旧暦の二十四節気?
 暦の話として、喜ばれるテーマの一つに「二十四節気」があります(ちなみ
 に、昔は「二十四気」とというのが普通だったようです)。
 なぜ二十四節気にこんな人気があるのかは定かではありませんが、その一つ
 の要因として、その名称の美しさがあるのでは無いかと考えます。

  立春・雨水・啓蟄・春分・清明・穀雨
  立夏・小満・芒種・夏至・小暑・大暑
  立秋・処暑・白露・秋分・寒露・霜降
  立冬・小雪・大雪・冬至・小寒・大寒

 何か、その言葉を読むだけで情景が浮かんでくるような素敵な言葉です。
 誰がこんな言葉を考え出したのかとため息が出てしまいます(私じゃ無理な
 ことだけは確実です)。
 さて、この美しい名を持つ二十四節気ですが、この二十四節気が

  「旧暦の二十四節気」

 と紹介されることがあり、その度になんだか変な気分になってしまいます。

◇旧暦はハイブリッドの暦
 日刊☆こよみのページの読者の皆さんなら既にご存知のこととは思いますが
 現在一般的に旧暦と呼ばれている暦は、明治 5年まで使われていた太陰太陽
 暦のことです。
 現在でも、いろいろな場面でこの昔使われていた太陰太陽暦に準拠した(正
 確には同じではありません)いわゆる旧暦が使われています(面倒なのでこ
 れ以降は全部「旧暦」と書いてしまいます)。

 旧暦は時に「陰暦」と呼ばれることもあります。これは月の満ち欠けを基本
 として組み立てられた太陰暦を省略した言葉と考えられます。確かに旧暦は
 その暦月(正月、二月、・・・十二月という暦の上の月のこと)の区切りを
 新月の日として決める暦ですから、太陰暦の一種ではありますが、実はそれ
 だけではなく、一年の長さの基本は太陽の動きを基本として決めるという太
 陽暦の側面も持っています。

 ですから、正しくは太陰暦ではなくて太陰太陽暦と呼ばれるわけです。
 太陰暦と太陽暦のハイブリッド(雑種)の暦ということが出来ます。

 こう書くと、「太陰暦と太陽暦のよいところを併せ持った暦」と思われがち
 ですが、二つのものをあわせたら両方の良い性質が必ず現れるわけではなく
 て、中途半端なものになってしまうことが多いように、旧暦も中途半端な暦
 となってしまいました。

 太陰暦の良さといえば、誰でも月の満ち欠けさえ注意していれば暦月の区切
 りがわかるという単純さですし、太陽暦の良さといえば四季の巡る一年とい
 う長さをよく表すというところでしょう。
 旧暦は、平均して見ると

  ・暦月の区切りは新月の日で区切られ、この暦月が12回で一巡り(暦年)
   となる暦(太陰暦的な性質)。
  ・一年の長さは平均すると、四季の巡りの長さ一致する暦(太陽暦的な性
   質)。

 です。単純でわかりやすく、一年の長さも四季の巡りの長さと一致する、い
 いところばかりです。問題はこの良いところばかりの話はあくまでも平均し
 て見た場合の話だと言うことです。

 暦年が12暦月という基本はあっても、およそ 3年に 1度は閏月(うるうづき)
 と呼ばれる臨時の暦月を追加した13ヶ月の年が生まれてしまいますし、 1年
 の日数も353〜355日のパターンと383〜385日という30日も異なる年が出来て
 しまうのです。

 平均化して見れば理想の暦のようではあるのですが、年毎に比較すると随分
 変動の大きな暦なのです。それもそうした変化がほとんど 3年に 1回の割で
 起こるのですから、ずぼらな私から見ても「まあいいか」と言ってはしまえ
 ない暦です。

◇旧暦の二十四節気?
 太陰暦の最大の欠点は太陰暦では四季の巡りの周期を正しく表せないという
 点です。何らかの方法で調整する仕組みを作らないといけない。二十四節気
 はその要請から考え出されたもので、太陽の巡る周期(四季の巡る周期と云
 って良いでしょう)だけから組み立てられています。

 二十四節気に関して云えば、何処にも月(太陰)の周期の影響を受けており
 ません。全く太陽暦的な存在なのです。

 月の満ち欠けで暦月を区切るという太陰暦として生まれた暦が、やがて四季
 の巡りの周期、「年」を表す仕組みとしてこの太陽暦的な仕組みである二十
 四節気を取り込むことで、太陰暦と太陽暦のハイブリッドとしての太陰太陽
 暦が作られ、以後二千年以上も使われ続けて、現在の旧暦にまで繋がってい
 るのです。
 こうしてみると、

  旧暦は二十四節気がないと作れない

 ことは確かな事実ですが、二十四節気は旧暦特有のものかと云われると、そ
 んなことはありません。
 「旧暦の二十四節気」という言葉を耳にする度に、私が変な気分になってし
 まうのはこのためです。

◇おまけ・・・新暦で二十四節気の影が薄いのはなぜ?
 「旧暦の二十四節気」というのはなんだか変ですが、「新暦の二十四節気」
 という言葉は別の意味でまた変(大体こんな言葉は耳にしたことがありませ
 んけどね)。

 何が変かというと、それは「頭痛が痛い」が可笑しいのと同じ理由です。
 現在、新暦と呼んでいる暦はグレゴリオ暦と呼ばれる太陽暦に基づいていま
 す。既に書いたとおり、二十四節気も太陽暦の一種と云うことが出来ます。
 既に完成している太陽暦に、わざわざ別の太陽暦の仕組みを導入する必要は
 ありません。

 二十四節気が書き込まれたカレンダー(もちろん新暦の日付の)をご覧いた
 だければわかることですが、春分の日は3/20か3/21ばかりで年毎にその日付
 が 3/1になったり3/10になったりと言うことは有りません。変化したところ
 で 1日くらいのものですから毎年カレンダーでその日付を確認して、暖かく
 なる時期の目安として利用するなんていう意味はないのです。

 新暦という暦にとっては、わざわざこれに二十四節気の仕組みを加えること
 は、屋上屋を架すようなもの、頭痛が痛いというようなもの。
 こんなわけで影が薄くなってしまったようです。

 その反動(?)から、「旧暦の二十四節気」なんていう表現が生まれてしま
 うのかも知れません。
 皆さんには、二十四節気が旧暦固有のものじゃないということを、覚えてお
 いて頂きたい。お願いします。

  (『暦のこぼれ話』に取り上げて欲しい話があれば、
   magazine.std@koyomi.vis.ne.jp までお願いします。)

オリジナル記事:日刊☆こよみのページ 2011/04/17 号

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