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■正月事納め
 正月行事の期間といえば、これを松の内とか注連(しめ)の内などと呼び、
 現在は正月の七日までとするところが多いようです。

 松の内は門松の飾られている期間から、注連の内は注連縄(しめなわ)の飾
 られていた期間ということです。
 古くは正月十五日までとされていましたが、現在は約半分の長さに短縮され
 ているわけです。

◇聖域から生活の場へ
 正月行事は様々な福をもたらす新しい年神を家に迎え入れる行事です。
 門松は元々はこの神の依代(よりしろ)でした。不老長寿の象徴として常緑
 の松が選ばれています(ところによっては、榊、竹、椿などの場合もあると
 か)。

 また門松と並んで正月の代表的な風物として、藁で作られた正月飾りがあり
 ますが、これのルーツは「注連の内」という言葉が残るとおり、注連縄でし
 た。注連縄といえば、普段は神社に掛けられたものを見かけるように、聖域
 の範囲を示す結界に張られた縄であったと考えられます。

 正月の期間にこの聖域の範囲を示す注連縄が転じた正月飾りを家につけるの
 は、この期間は家に年神を迎えている期間だからです。神が家におわします
 から、家自体が聖域となっているわけです。

 家は元々、生活の場であるわけですが、注連の内の期間だけは日常の生活の
 場から、神聖な場所となっているわけです。

 正月事納めの日は、神の依代であった門松、聖域であることを示す正月飾り
 を取り外すことによって、家を聖域から普段の生活の場に戻すという意味が
 あります。

◇防火のために短縮?
 昔は松の内の期間が十五日までと書きましたが、これが現在のように短縮さ
 れた理由には、明暦の大火があります。
 明暦の大火は明暦三年(1657年)に発生した大火災で、江戸の市街地の大半
 を焼き尽くした火災で、別名「振袖火事」と呼ばれます(死者は 3〜10万人
 といわれています)。

 さて、この明暦の大火の教訓から、幕府は延焼拡大を防ぐための様々な方策
 を打ち出すことになりますが、その一つが門松を飾る期間の短縮化がありま
 した。

 常緑の松とはいえ、門松は半月以上も飾っておくわけですから切り取られた
 松は正月半ばともなれば、大分枯れて乾燥しています。
 沢山の油分を含んだ松は枯れるととっても燃えやすい木です。

 こんなものが家々の門前に飾られていたら、延焼拡大のもとになってしまう
 というわけで、明暦の大火から 5年後の寛文二年(1662年)に松飾りは七日
 には片づけるように町触れ(まちぶれ)がなされ、これ以後江戸の町では松
 飾りは正月七日までとなりました。

◇個人的な思い出
 私の小学生時代は、冬休みは 1/7まで。 1/8は久々に登校する日となってい
 ました。久々の登校で慌ただしい 1/8の朝ですが、私にはもう一つ仕事があ
 りました。それは、正月飾りを取り外し、集めて家の敷地外の畑の隅に生え
 ていた梅の木の根元においてくること。

 子供の頃には「めんどくさいな」と思っていましたが、今にして思えば、こ
 れが正月の事納めだったんですね。

 地域によっては古くからの伝統のとおり、正月十五日までが松の内というと
 ころもあるので、日本全国ということではありませんが、多くの地域では、
 本日は松がとれて、家々が生活の場へと戻る日です。
 忘れてしまって天に帰るはずの年神様を困らせないようにしましょうね。

  (『暦のこぼれ話』に取り上げて欲しい話があれば、
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オリジナル記事:日刊☆こよみのページ 2012/01/08 号

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