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■兼好忌
 2/15は、有名人の忌日が並びます。
 一人は世界的に有名なお釈迦様。
 あと二人は、世界的にはどうかはわかりませんが、日本では有名な西行と兼
 好。

 先にあげたお二方の話はまた、それぞれ別の機会に採り上げるとして、本日
 は三人の中でもっとも最近亡くなられた兼好法師の忌日について採り上げて
 みます。

◇兼好忌 (けんこうき)
 徒然草の作者として有名な兼好法師が亡くなったのは正平5年(AD1350)2月15
 日。この 2年後も存命であったという説もありますが、本日は天正 5年に亡
 くなったとして話を進めます。

  願はくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月の頃

 と歌を詠い、その願いどおりに如月の望月の頃に亡くなった西行から遅れる
 こと 160年、兼好法師が亡くなりましたが、こちらにはドラマチックな話題
 はありません。その代わり、ちょこっと面倒な話がありました。
 その面倒な話とは元号。一般的にはドラマチックな話ではなくても日刊☆こ
 よみのページにとっては有り難い話の種です。

 兼好が亡くなったとされる正平 5年は西暦では1350年ですが、この1350年に
 当たる年を元号で表すと

  AD1350年 = 正平五年 = 貞和六年 = 観応元年

 と三つも出てきてしまいます。
 なぜでしょうか?

 まず、この時代は南北朝時代なので南朝と北朝の二つの元号がある。この区
 分で云うと、

  南朝 ・・・ 正平
  北朝 ・・・ 貞和、観応

 となります。南朝と北朝で異なる元号となっているのはわかりましたが、で
 は北朝に二つの元号があるのはなぜでしょうか?

 そのわけは「貞和」という元号は六年まで。そしてAD1350は貞和六年。そし
 てこの貞和六年は年の途中に改元が為されて観応元年に変わりました。

 現在は年の途中で改元することになった場合は、日付単位で元号が変わりま
 す。最近では昭和から平成への改元がありましたが、このときは

  1989年1月7日 ・・・ 昭和64年1月7日
  1989年1月8日 ・・・ 平成元年1月8日

 となり、1989年には昭和と平成が同居しています。しかし昔の伝統では年の
 途中に改元が為されると、その年の初めまで遡って元号をかえるので、兼好
 法師が亡くなった1350年には歴史的には貞和六年という年が確かにあっても
 暦的にはこの年は年の初めから観応元年と扱われることになります。
 もし兼好法師の霊がいるとするならば

  自分が生きていたのは貞和六年で、観応元年なんて聞いたこともない

 と云うことでしょうね(「霊」なんていうものがあればの話です)。
 まあ、重箱の隅をほじくるような話ではあるのですが、ここは暦のこぼれ話
 ですから。

 こぼれ話ついでに言えば、もう一つ。
 兼好法師というと普通は「吉田兼好」と呼ぶことが多いのですが、ご本人は
 「卜部兼好(うらべかねよし)」。

 生家、卜部家が京都吉田神社の神官の家系で、子孫が吉田姓を名乗ったため、
 後世「吉田兼好」と呼ばれるようになりましたが、本人は「吉田」を名乗っ
 たことはないはずです。
 再び兼好法師の霊が存在するのだとしたらその霊は

  自分は卜部兼好として生きた。吉田兼好なんて名は聞いたこともない

 とおっしゃることでしょうね。

  (『暦のこぼれ話』に取り上げて欲しい話があれば、
   magazine.std@koyomi.vis.ne.jp までお願いします。)

オリジナル記事:日刊☆こよみのページ 2014/02/15 号

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