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■具注暦(ぐちゅうれき)
 暦の日付に対してそれぞれに、星宿や干支、そして様々な日の吉凶を表す暦
 注と呼ばれるものが書き入れられたものを具注暦といいます。

  (暦)注が具わった暦

 云う意味です。
 ただ、この意味で云えば、明治改暦以前の日本の暦はみんな具注暦と云って
 よいことになります。なにせ、暦注が具わっている暦ばかりですから。

 しかし、一般に「具注暦」と云った場合は、全て漢文で書かれたものだけを
 指し、後世に庶民の間で流通した仮名で書かれた仮名暦(かなごよみ)と区
 別して使います。また、仮名で書かれた仮名暦との対比から真名暦(まなご
 よみ)とも呼ばれます。

◇有名な具注暦
 昔の暦は、前年の十一月朔日に行われる御暦の奏(ごりゃくの そう)にお
 いて天皇への奏聞を経て正式な暦として認められました。この御暦の奏で天
 皇に進献される暦は具注暦二巻と七曜暦一巻(七曜暦は、天体の位置を記し
 た、天体暦の一種)です。

 ちなみに、御暦の奏では、天皇や皇太子へ進献する暦以外に、各役所で使う
 ための具注暦も、作暦を担当する陰陽寮から納められます。とはいえ、現代
 と違って、印刷技術の無い時代なので、ここで納められる暦の数は本当に必
 要最小限の数で、役所や有力な貴族にまでしか渡らないものでした。
 では、その他の人は如何したかと云えば、様々なツテをたどって正式な暦を
 書き写させて(当然コピー機なんてないので、手書きで)もらっていたので
 した。考えただけで大変な作業です。現代に生まれてよかった。

◇暦の余白に書かれた日記
 具注暦は奈良、平安の時代に貴族の間に流行しました。
 それこそ、朝起きるとまずはその日の吉凶が書かれている具注暦を開くのが
 上流貴族の日課となっていたほど。貴族にとっては生活になくてはならない
 もの、暦を読むのは貴族としての嗜みというくらいのものだったようです。

 こうした具注暦の中に、国宝となった有名な暦があります。
 「御堂関白記(みどうかんぱくき)」として知られているものがそれです。
 御堂関白記は、平安時代に摂政太政大臣となって位人臣を極めた藤原道長が
 書いた日記ですが、この日記は具注暦の余白に書き入れる形式で書かれたも
 のでした。

 具注暦には、日毎にその日付と暦注などが書き入れられた行がありますが、
 その行と行の間に、空白の行が2〜5行程度の空白行があり(上等な暦ほど、
 空白の行数が多い)ましたので、その空白行にその日の日記を書いていたの
 です(具注暦はこのように行と行の間に空きがあることから「間明暦(まあ
 きごよみ)」とも呼ばれます)。

 こうして、具注暦の余白に日記を書くことを「暦記」と云いますが、こうし
 て書かれた日記の内容を読めば当時の宮中行事の数々や貴族の暮らしぶりの
 あらましがわかり、貴重な資料となります。このために、次の年になれば不
 要となってしまうはずの暦が、現代まで残されることになりました。御蔭で
 古い時代の暦の内容が今に伝えられることになりました。道長様々(他の暦
 記をして下さった方々も同様)でございます。

 国宝にまでなる貴重な資料ですから、以前であればお目に掛かるのは大変で
 したが、現在はインターネットで「御堂関白記 画像」とでも検索すると、
 沢山の映像が現れ、居ながらにしてこの貴重な資料の姿を目にする事が出来
 ます。

 御暦の奏の後で、ツテをたどって手書きで書き写さないと翌年の暦も手に入
 らなかった時代のことを思うと、本当によい時代に生まれたものですね。

  (『暦のこぼれ話』に取り上げて欲しい話があれば、
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オリジナル記事:日刊☆こよみのページ 2016/02/28 号

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