こよみのぺーじ 日刊☆こよみのページ スクラップブック  (PV , since 2008/7/8)
■時の記念日 (一部追加 2018)
 今日は6/10は「時の記念日」です。
 時の記念日の日付は、「漏刻(ろうこく)」と呼ばれる時計によって時刻を
 人々に知らせることが始められたことを記念するもので、日本書紀によれば、

  天智天皇の十年四月二十五日 (グレゴリウス暦で表すと AD671/6/10)

 となることから定められました。

◇最初に導入された時計と時刻の体系
 この「漏刻」という時計は水時計で、宣明暦(せんみょうれき)に記された
 漏刻の図からすると水を入れた水槽が5段あり、上の段から順次水が満たさ
 れ、最後の水槽に浮かべた人形が、水位の変化に応じて時刻を刻んだ文字盤
 (文字尺?)を指し示すようになっています。

 このような複数段にしている理由は水圧を一定化して正確な動作をさせるた
 めの工夫で、かなり高度な水時計だったと言えます。
 残念なことにこの時計は翌年起こった壬申の乱によって焼失してしまったと
 のこと。短命な時計でした。

 もっとも壬申の乱が収まったあと、乱の勝者である天武天皇が飛鳥浄御原宮
 (あすかきよみはらのみや)に再び建設したようです。

 時計が使われるようになったことで、始めて一定の「時」を手に入れました。
 当時使われた暦は1日が12刻に分割された十二辰刻(じゅうにしんこく)法
 で、子の刻から始まって亥の刻まで、十二支が順に配されていました。

 この十二支の一つで表される時の長さを「辰刻(しんこく)」と言います。
 一辰刻は更に一刻(初刻)〜四刻に 4分割され、更に細分化する場合にはこ
 の一刻を零分〜九分に10等分します。
 一日の長さは子刻〜亥刻に12分割されていますから一辰刻の長さは現在の時
 間にすれば 2時間となります。同様に一刻は30分、一分は 3分に相当するこ
 とになります。

◇漏刻の時刻は宮中で使われた?
 天平宝字元年( 757年)に施行された養老令にある陰陽寮の職制の中には、
 漏剋(刻)博士、守辰丁という役職が書かれていますから、漏刻の維持管理
 をして、時刻の保持を行っていたようです。

 どんなところで使われていたかというと、宮中やそれに近しい一部の人々で
 使われていたと考えられます。そうした人々にどのように時刻を知らせてい
 たかといえば、鐘や太鼓が使われたと考えられます。

 さすがに現在は鐘や太鼓で時刻を知らせると言うことはありませんが、学校
 や職場で、定時になるとチャイムが鳴ったりするのと同じですね。

 漏刻は都以外にも太宰府など地方にも建設され、時を告げたようです(重大
 な報告をするときに、時刻を記入する必要があるから、漏刻を設置させて欲
 しいという請求の記録が残っているそうです)。

 こうして、ある程度「一定な長さの時刻」を手に入れた日本ですが、ここで
 使われた漏刻は今の時計と違って扱いが面倒であったこと(つまり人手がか
 かる)ことから徐々に使われなくなっていってしまったようです。

 この辺は、「そんなに正確な時計が無くても、大体の時刻で問題ない」とい
 う長閑な時代であったからかもしれません。おそらく宮中ではたらく人々で
 も、一旦退出して家に帰れば、こんな時計の刻む時刻とは無関係な生活を送
 っていたでしょうからね。

◇ちょっと寄り道・・・正子(子の正刻)
 十二辰刻は一日を十二分割したものだと書いたのですが、ここに一つ困った
 というか、面倒くさい問題がありました。それは・・・十二辰刻の区切りと
 一日の区切りが一致していないという問題です。

 十二辰刻は子刻から始まりますが、この始まりの時刻は現在の時刻でいえば
 23時。子刻は23時〜翌日の1時までの2時間。ところがこの時代であっても一
 日の区切りは現在の深夜0時でした(「明け六つ」が区切りと言われること
 がありますが、これは正しくありません)。つまり一日の区切りは子の刻で
 はなくて、子の刻の初めから1時間後の「子の三刻」でした。

 この三刻のことを「正刻(しょうこく)」ともいいます。三刻の初めがその
 辰刻の真ん中を表すからでしょうか。
 「子の正刻」をは短縮して「正子(しょうし)」と言われますので、一日の
 区切りは子刻ではなくて、正子となります。

 「正子」はあまり使われない言葉ですが、これから12時間後の「正午」の方
 は今でもよく耳にする言葉ですね。こちらは「午の正刻」を意味します。

 何か誤解の元になりそうな面倒な十二辰刻の区切りと一日の区切りの違い。
 もっとすっきりしたものにしてくれたらよかったのに。

◇暦と時計
 漏刻が作られた時代は、現実の生活には「正確な時計の存在」は必ずしも重
 要では無かった時代ですが、暦にとってこの時計の存在は重要な意味があり
 ました。

 それは一定の時を得ることで、暦の元である天体の運行の様子が大変厳密に
 測定出来るようになり、季節による天体の見かけの位置の変化などもこれに
 よって飛躍的に「高い精度」で知ることが出来るようになりました。
 この天体の観測の精度向上は、直接暦の精度向上に結びついたはず・・・。

 と書きたいところですが、実はこのような暦の精度向上に役立ったのは本当
 ですが、これは日本ではなくて、暦の先生であった中国での話。
 日本ではまだ、中国からの暦をそのまま使うのみで、自国で独自に暦を作る
 ための観測などはまだまだ行われなかったのでした。

 まだ、時計と暦の精度向上の関係や、その必要性などが認識出来るほど日本
 の暦学、天文学は発達していなかったのでした。

 まあ、あまり役立った形跡のない漏刻ですが、それでも日本で始めて時計が
 使われるようになった記念の日、それが時の記念日です。

◇勝手な意見・・・祝日の候補にいかが?
 「6月だけ祝日がない、6月にも祝日があったらいいのに」

 休日が増えるのは大歓迎という単純な考えが元でしょうけれど、よくこんな
 話を聞きます。なんとなくそれに似た経緯で、よく日付との関連性の解らな
 い祝日が7月と8月にも作られました(どちらも理由は絶対「こじつけ」)。

 7,8月が埋まったところで残すところは6月。
 そこで、どうせ祝日を作るなら、無理矢理こじつけたようなものではなくて
 それなりに意味のある日を祝日にするならば、「時の記念日」なんてぴった
 りじゃないかなと。

 現代の社会は正確な時刻を抜きにしては成り立たないことは異論のないとこ
 ろでしょうし、一応は歴史的な意味のある日ですし。
 もし祝日法を改正して6月に祝日をという場合には、

  「時の記念日」をよろしく!

 以上、かわうその勝手な意見でした。

  (『暦のこぼれ話』に取り上げて欲しい話があれば、
   magazine.std@koyomi.vis.ne.jp までお願いします。)

オリジナル記事:日刊☆こよみのページ 2018/06/10 号

こよみのぺーじ 日刊☆こよみのページ スクラップブック