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■「勤労感謝の日」の日付
 今日は、勤労感謝の日。
 この日は、明治憲法下では「新嘗祭(にいなめさい)」という祭日でした。
 勤労感謝の日が新嘗祭を意識して作られた祝日であることは、国民の祝日に
 関する法律にある勤労感謝の日の意味に

  「生産を祝い」

 とあることから、窺い知ることが出来ます。
 勤労感謝の日という祝日の根底には、新嘗祭という古くからの宮中祭儀があ
 るためでしょう、勤労感謝の日の日付は、ハッピーマンデー法の洗礼を受け
 ることもなく、明治6年以来、ずっと11月23日のままです。

 では、この11月23日という日付はどこから来たのか。
 本日は、この日付について考えてみることにします。

◇新暦の日付に固定された新嘗祭
 勤労感謝の日の元(?)となった、新嘗祭という祭儀は仁徳天皇時代には既
 に行われていました。この古い祭儀の行われる日付は

  「十一月の中卯の日」

 と定められていました。
 「中卯」というのは、その月に入って 2度目の卯の日と云うことです。

 明治 5年(日本の正式の暦が太陰太陽暦であった最後の年)までは、新嘗祭
 は、この「十一月の中卯の日」に行われていました。そして、この明治5年
 の十一月中卯の日(明治5年11月22日)に新嘗祭が行われてから10日後、太
 陰太陽暦が続いていれば明治5年12月3日であったはずの日が、太陽暦の明治
 6年1月1日とされ、この日から日本の正式な暦は太陽暦に変わりました(こ
 れが、明治改暦と呼ばれる改暦です)。

 改暦の影響は、いろいろなところに現れますがこうした伝統行事の日付をい
 つにするかも影響を受けることのひとつ。
 対処法としては、

  A.従来どおり旧暦の十一月の中卯の日に対応する新暦の日付で行う。
  B.新暦の十一月の中卯の日で行う。
  C.十一月の中卯の日にこだわらず、新しく日付を決める。

 さて、新嘗祭の日付はどうしたか。
 まず、A案を考えてみると、明治6年の旧暦の十一月の中卯の日は11月22日。
 これはもちろん旧暦の日付ですが、この日を新暦の日付に直すと・・・困っ
 たことに新暦の日付は明治7年1月10日となってしまい、明治6年の新嘗祭が
 なくなってしまいます。

 さすがにこれはまずいので、残る案はB案とC案。
 明治政府が選んだのはB案。新暦の十一月の中卯の日に新嘗祭を行うことに
 しました。明治6年の新暦での中卯の日を探すと、これが11月23日でした。
 こちらはもちろん新暦の年月日です。

 さて、翌年、明治7年もこのB案で行けば明治7年の新嘗祭は11月18日となっ
 たはずですが、結局こうはならず、明治7年からは、明治6年の新暦11月23日
 という日付を踏襲することにしたのでした。前述の3案でいえば、C案の新し
 い日付を決めるというものに相当するものです。

 日付に関しては、戦後新しい祝日法が生まれたときにもそのまま踏襲されま
 した。ただし祝日の名称は変わり、「勤労感謝の日」となりましたが。

 このような経緯で、勤労感謝の日は11月23日という新暦の日付に固定される
 ことになり、伝統的な十一月中卯の日とは関係がなくなりましたが、その年
 の収穫に感謝する日であることについては「新嘗祭」という祭日であった時
 代と同じ。その収穫の元となる一年間の勤労に感謝する日という意味で、

  勤労感謝の日

 となったのでした。
 ただの「お休みの日」ではなく、たまにはその祝日の意味を振り返ってみる
 のもよいのでは。そんなわけで、本日は勤労感謝の日の日付に拘って、その
 経緯を振り返ってみた、暦のこぼれ話でした。

  (『暦のこぼれ話』に取り上げて欲しい話があれば、
   magazine.std@koyomi.vis.ne.jp までお願いします。)

オリジナル記事:日刊☆こよみのページ 2018/11/23 号

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