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■定気法の二十四節気と2033年問題(その1)
 本日は 6/29号に書いた「恒気法と定気法の二十四節気」の続きの話です。
 この話は、そろそろ話題となり始めた「旧暦の2033年」の原因ともなる話で
 す。まずは若干のおさらいから。

 二十四節気とは、中国や日本で長く使われてきた太陰太陽暦(いわゆる「旧
 暦」)の中で、暦の月日と季節の関係が大きくずれてしまわないように設け
 られた太陽暦的な季節点です。二十四節気は節気と中気と呼ばれるものがそ
 れぞれ12づつあり、これが交互に並んでいます。このうち中気と呼ばれるも
 のが旧暦の暦月の名前を決定する役割を持っています。
 中気には、

  雨水 春分 穀雨 (正月中気 二月中気 三月中気)
  小満 夏至 大暑 (四月中気 五月中気 六月中気)
  処暑 秋分 霜降 (七月中気 八月中気 九月中気)
  小雪 冬至 大寒 (十月中気 十一月中気 十二月中気)

 があります。後の()はそれぞれの中気と暦との関係です。例えば雨水は正
 月中気であって、この雨水を含む暦月が「正月」と名付けられるというのが
 旧暦の基本的な暦月名の名付け方です。

 この二十四節気には、その作り方に2つの方式があり、一つは「恒気法(こ
 うきほう)」、もう一つは「定気法(ていきほう)」です。
 恒気法は1年の日数を24等分(365.2422日 / 24 ≒ 15.22日)し、冬至の瞬
 間からの積算した日数がそれぞれの節気、中気の始まりの日数に達した瞬間
 を二十四節気の節入りとするものでした。

 一方の定気法は天球上の太陽の見かけの動きを利用し、太陽の動く道筋であ
 る黄道と呼ばれる大円を角度で24等分(360°/ 24 = 15°)し、太陽の中
 心がこの位置を通過する瞬間を二十四節気の節入りの瞬間とする方式です。

 日本で使われた太陰太陽暦(いわゆる旧暦)は9種類あり、それぞれの暦が
 恒気法、定気法のいずれを用いていたかを見てみると次のようになります。

  ・恒気法・・・元嘉暦 儀鳳暦 大衍暦 五紀暦 宣明暦
         貞享暦 宝暦暦 寛政暦
  ・定気法・・・天保暦

 となっています。
 というところまでが、6/29号のおさらいでした(結構長かった?)

◇二十四節気の決定方として定気法はスタンダード?
 二十四節気は現在でも2月の最初の官報の「暦要項」という箇所にその節入
 りの瞬間(の日付と時刻)が掲載されています。現在の二十四節気は最後の
 太陰太陽暦となった天保暦の二十四節気の計算方法を踏襲しました。天保暦
 の二十四節気は定気法方式でしたから、それを踏襲した現在の二十四節気も
 定気法によるものです。

 現在の二十四節気が定気法方式のものですから、二十四節気とはこの方式で
 決定するものだと思い込んでいる方も多いのですが、この方式出なければな
 らないということではありません。現に二十四節気が暦を作る上で無くては
 ならないものであった旧暦時代には恒気法と定気法の2通りがあったことを
 みても判るとおりです。

 ついでに云えば、日本において太陰太陽暦、いわゆる旧暦が使われていた時
 代の9種類の暦のうち、定気法採用は天保暦の1つだけであるのに対して、恒
 気法採用の暦が8つであったことを見ると、現在使われている定気法の二十
 四節気は主流では無かったのです。

 ま、数が多ければいいというわけではないですけれど、定気法の二十四節気
 を採用した天保暦は1844年(弘化元年)から1872年(明治五年)までの29年
 間使用された暦です。日本で太陰太陽暦が使われた期間は7世紀末から1872
 年までのざっと1200年であることを考えると、ほんの僅かの期間。このほん
 の僅かな期間を占めるだけの天保暦の採用をもって、定気法が二十四節気の
 スタンダードな決定方式だと思い込むのはどうかと思います。

◇定気法の採用と旧暦月名の混乱
 6/29号で書きましたが、定気法方式の二十四節気採用には、江戸時代の中頃
 からの西洋天文学の流入の影響があると考えられます。精密な天体の位置推
 算法を知れば、「使ってみたいな〜」と考えるのは人情かも知れません。気
 持は判ります。

 しかし、それまでの伝統的な、ある意味単純な恒気法をやめて定気法に乗り
 換えた影響は、暦にとっては

  悪影響

 といってもよいものでした(かわうそ@暦の私見としておきます)。
 定気法の採用で暦月名決定の手順が複雑になってしまったのです。
 暦月名の決定には二十四節気の中の「中気」だけが関係しますので、ここか
 らは二十四節気の中の中気(12)についてだけ考えます。

 太陰太陽暦の暦月は、新月(朔)の瞬間を含む日から始まります。この朔と
 朔の間隔は朔望周期といい、長さは29.27〜29.83日(平均 29.53日)です。
 暦月の始まる日は朔の瞬間を含む日(これを「朔日」あるいは「一日」とい
 う)です。

  朔の瞬間を含む日

 とは、たとえ朔の瞬間がその日の23時59分59秒であっても、その日の始まり
 まで遡って「朔日」となります。この考えに従って暦月を区切ってゆくと暦
 月の日数は29日、あるいは30日となります(前者が「小の月」、後者が「大
 の月」です)。

 さて、暦の月日と季節の動きをつなぐものとして生まれた二十四節気(の中
 気)について考えて見ます。恒気法であれば、中気と中気の間隔は常に一定
 で、30.44日あまりとなります。この長さは旧暦の暦月の長さに近いのです
 が、僅かに長いので、暦月の中に含まれる二十四節気の中気の節入りの日は
 暦月ごとに1つか、希に1つも入らないというものだけになります。

 既に書いたとおり、旧暦の暦月名はその暦月中に含まれる中気(の節入り日)
 で決まります、これを含まない暦月は名前が決まらないので、閏月として、
 直前の月の名前に「閏」をつけて呼ぶことになります。

 もし、四月中気である小満と五月中気である夏至の間に、中気を含まない暦
 月が表れたとしたらこの月は閏月となります。そして直前の月が「四月」で
 すから、「閏四月」と呼ばれることになるのです。

 恒気法では、二十四節気の間隔は何処でも変わりませんので、これによって
 生み出される(?)閏月も季節と関係無くほぼ均等な割合で出現します。
 試みに1000〜1843年の844年間の閏月の出現時期を調べて見ると

   1月  28 ( 8.9%)
   2月  28 ( 8.9%)
   3月  24 ( 7.6%)
   4月  30 ( 9.6%)
   5月  26 ( 8.3%)
   6月  29 ( 9.2%)
   7月  31 ( 9.9%)
   8月  20 ( 6.4%)
   9月  28 ( 8.9%)
  10月  38 (12.1%)
  11月  13 ( 4.1%)
  12月  19 ( 6.1%)

 となります。
 あら、均等なはずが8月と10〜12月がちょっとおかしい。
 実は、これは実際に使われた暦を用いた暦を用いたため、迷信の類の問題を
 回避するために人為的な暦日の変更(計算結果からの変更)が加えられてし
 まっているため(この辺の話もいつかしないといけませんね)で、計算どお
 りであれば、8%前後に落ち着きます。
 閏月と閏月の出現する間隔は32〜33暦月となります。
 恒気法の下での閏月の置き方(置閏法(ちじゅんほう))は

  1.暦月は朔を含む日に始まる
  2.暦月中に含まれる中気の節入り日によって暦月名を定める
  3.暦月中に中気の節入り日を含まない月は閏月とする。

 という単純な規則だけで問題無く機能したのでした。
 ああ、判りやすくてよかった。
 それなのに定気法なんかを採用するから・・・

 と、ここから定気法採用の弊害と旧暦の2033年問題を書くはずでしたが、予
 定外に長くなってしまいましたし、お腹も空いてきたので、本日は

  定気法の二十四節気と2033年問題(その1)
 というタイトルにして、続きは「その2」に譲ることにします。
 無計画で済みませんが、また後ほど。

  (『暦のこぼれ話』に取り上げて欲しい話があれば、
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オリジナル記事:日刊☆こよみのページ 2019/07/07 号

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