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■定気法の二十四節気と2033年問題(その2)
 7/7から1日おいて、続編です。

◇定気法の採用と旧暦月名の混乱(再び)
 日本では、いわゆる旧暦時代に、元嘉暦、儀鳳暦、大衍暦、五紀暦、宣明暦
 、貞享暦、宝暦暦、寛政暦、天保暦の9種類の太陰太陽暦が使われてきまし
 たが、定気法の二十四節気を使用したのは最後の天保暦のみ。

 最近よく耳にするようになった「旧暦の2033年問題」というのは、実はこの
 9種類の太陰太陽暦のうち、定気法を採用した天保暦だけに見られる問題な
 のでした。

 何度も書いてきたことですが太陰太陽暦の暦月は新月(朔)の瞬間を含む日
 に始まります(そして、次の朔の瞬間を含む日の前日まで)。朔と朔との間
 隔は29.27〜29.83日(平均29.53日)ですので、この間隔で区切られた暦月
 は29日の小の月と30日の大の月のいずれかになります。

 この暦月はその暦月期間中に二十四節気の中気の節入りを含むがあれば、そ
 の中気に対応した月名が、その暦月につきます。例えば「春分」は二月中気
 なので、春分が含まれた暦月が「二月」と呼ばれることになります。
 そして、希に表れる中気(の節入り日)を含まない暦月は閏月となります。

 1年の日数を当分に分けて二十四節気を決定する恒気法では、中気と中気の
 間隔は、およそ30.44日(= 365.2422日 / 12)ですから29ないし30日だけの
 太陰太陽暦の暦月の間には入る中気は普通は1回、希に0回となり、それ以外
 ますのパターンは存在しません。
 ということで、恒気法であれば

  1.暦月は朔を含む日に始まる
  2.暦月中に含まれる中気の節入り日によって暦月名を定める
  3.暦月中に中気の節入り日を含まない月は閏月とする。

 という単純な規則で暦月とその名前が決定できます。
 ところが、定気法の二十四節気を採用した天保暦では、それまでには起こり
 えなかったことが起こるようになってしまいました。それはどういうことか
 というと

  1つの暦月の間に2つの中気が入ってしまうことがある!

 ということでした。
 黄道を角度で等間隔にわけ、その決められた位置を太陽の中心が通過する瞬
 間を二十四節気の節入りの瞬間とする定気法では、季節によって中気と中気
 の間隔、日数が変化してしまうのです。この理由は地球の公転軌道が円では
 なく、楕円であるためです。

 地球が太陽に近づく時期には太陽の動きは速くなり、二十四節気の間の間隔
 は狭まります。逆に地球と太陽の距離が遠い時期には太陽の動きが遅くなる
 ので、二十四節気の間隔は広くなります。

 現在は、1月(新暦の)上旬に地球は太陽に最も近づき、7月上旬に最も遠ざ
 かるので冬の時期には二十四節気の間隔は狭くなり、夏の時期には広くなり
 ます。この結果、二十四節気の中気と中気の間隔は、29.44〜31.46日の間で
 変化してしまいます。

◇中気と中気の間隔が変わったことの何が問題?
 この結果の何が問題なのでしょう?
 中気の間隔が狭くなったこと、広くなったことのどちらも問題なのですが、
 まず目につく問題は、狭くなったこと。

 最短の中気と中気の間隔は29.44日です。この間隔だとそれぞれの中気を含
 む日の間隔で考えると、29日か30日となります。もし、中気を含む日の間隔
 が29日となる時、たまたま暦月が30日の大の月で、もう一つ偶然に中気の始
 まりと暦月の始まりの日が同じだったりすると、

  あれ、1つの暦月中に2つの中気が含まれる?

 ということになります。
 例えば、十二月中気の「大寒」と正月中気の「雨水」が1つの暦月に含まれ
 るとすると、この暦月は十二月とするべきなのか正月とするべきなのか?
 (この例の場合、十二月とするか正月とするかでは一年の始まりの時期が1
 ヶ月ずれてしまうことに。お正月飾りはいつ飾ればいいの!!)

 長い間使われてきた恒気法ではこうした、暦月中に2つの中気が含まれるこ
 となどありませんでしたから、当然、こうした場合、暦月名を如何するか
 という規則はありません。困った。

 困った・・・と思ったら他にも困ったことが。1つの暦月に中気が2つ含ま
 れるということになると、12しかない中気がここで、無駄遣い(?)され
 てしまうので、こうした月の前後には中気を含まない暦月が複数出現して
 しまうのです。伝統的な太陰太陽暦の考え方では中気を含まない暦月は閏
 月となるのですが、これでは閏月が多くなりすぎて本来の月(本月)の数
 が足りなくなってしまいます。機械的に従来の方式を適用すると

  九月、閏九月、十月(か十一月)、閏十月(か十一月)、十二月・・・

 なんて訳の分からない暦月の並びになってしまう年が生まれるのです。
 とはいっても、

  「そんなことは滅多に起こらないはず。起こった時に考えればよい」

 きっと、定気法を採用した天保暦作暦者たちはそう思ったことでしょう。
 しかし、そんな滅多に起こらないことが案外早く起こってしまいました。
 その年は西暦1851〜52年にかけて。天保暦が使用され始めたのは1844年で
 すから、8年目の出来事です。

   朔の日  月大小 含まれる中気(中気の表す月名)
  1851/ 9/25 大の月 霜降(九月)
  1851/10/25 小の月 −−
  1851/11/23 大の月 小雪(十月),冬至(十一月)
  1851/12/23 小の月 −−
  1852/ 1/21 大の月 大寒(十二月),雨水(正月)
  1852/ 2/20 大の月 春分(二月)
  1852/ 3/21 小の月 −−
  1852/ 4/19 大の月 穀雨(三月)
 ※朔の日の日付はグレゴリオ暦に換算した日付

 さて、天保暦ではこの危機(?)をどのように乗り切ったのでしょう。
 そして2033年は乗り切れるのでしょうか?

  ・・・(その3)につづく・・・ ゴメンナサイ!

  (『暦のこぼれ話』に取り上げて欲しい話があれば、
   magazine.std@koyomi.vis.ne.jp までお願いします。)

オリジナル記事:日刊☆こよみのページ 2019/07/09 号

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