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■赤穂義士討ち入りの日
 私が若いころ(結構大昔か?)には師走の半ばとなると赤穂浪士討ち入りに
 まつわる映画やTVドラマが流れていたものです。
 講談風に言えば

  元禄十五年極月十四日

 極月は12月の異称。と云うことは12/14。ということで本日はこの討ち入りに
 まつわる話として討ち入りの日の月や太陽の様子を考えてみました。

 現在は赤穂浪士という呼び名が定着しているようですが、これは大佛次郎の
 小説「赤穂浪士」(昭和 4年)がTVドラマ化されて定着したものと言われ、
 それ以前は、赤穂義士という呼び名が普通だったようです。

 元禄十五年といえばAD1702年ですが、十二月十四日は新暦だと翌年AD1703年
  1月30日に当たります。ただ、討ち入りの時刻は「寅の刻」となっています
 から、正しくは日付は翌日の12/15 (新暦では1/31)。

 寅の刻という時刻ですが、本来「寅の刻」といえば暦で用いる定時法の時刻
 の表し方であって、現在の時刻では午前 3時〜 5時の間となります。ただ、
 この当時は普通に用いられていた時刻は明け六ッ、暮れ六ッを基準とする不
 定時法でしたので、これと混同していた可能性も有り、これだと午前 4時〜
  6時少し過ぎくらいとなります。

 まあ、大体午前 4時頃の討ち入りと考えてよいでしょうか。
 旧暦で十四日ですから、小望月と言うことになります。
 TVなどでは雪の降る中での討ち入りになっていますが、これは「仮名手本忠
 臣蔵」に書かれた情景で脚色。実際はよく晴れて寒い夜だったようです。

 晴れていたとすれば日付から考えると月が明るい晩だったはずですが、試し
 にこの日の東京(江戸)での月と太陽の様子を調べてみると、

   月出 14:34 , 月没 05:15 , 月齢 13.2
   日出 06:43

 ということで、満月に近いことは近いですが、討ち入りの時刻には月は大分
 西の空の低いところに在って、月齢から想像するほど「明かり」としての効
 果はなかったかもしれません。

 吉良上野介の首級をあげた時刻はと云うと「卯の刻」。定時法では午前5〜
 7時、不定時法で考えると午前 6時10分頃〜となります。
 どちらを考えても、首級をあげて引き上げるころには空が白んでいたことは
 間違いなさそうです。

 当時の人々は、明け六ッ頃から起き出して活動を始めていたようですので、
 赤穂義士たちが引き上げる様子を目にした人も多かったでしょう。きっと、
 「何事が起こった!?」と驚いたことでしょう。

◇赤穂義士祭
 ちなみに、この討ち入りにまつわる行事として、新暦の12/14 に東京都港区
 泉岳寺、兵庫県赤穂市大石神社などで赤穂義士祭が行われます。

  (『暦のこぼれ話』に取り上げて欲しい話があれば、
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オリジナル記事:日刊☆こよみのページ 2019/12/14 号

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