こよみのぺーじ 日刊☆こよみのページ スクラップブック  (PV , since 2008/7/8)
■2/15の三つの忌日
 今日の記念日データをご覧頂ければ解るとおり、2/15は有名人の忌日がいっ
 ぱい。いっぱいといっても三人ですが。ただその三人は誰でも知っていると
 いってもよいくらいの有名人です。

 有名人三人の忌日が同じ日とは、何とも目出度い・・・と、記念日とはいえ
 忌日なので、目出度いはないですね。失礼。
 今日は三人の忌日にまつわる話を拾ってみます。

◇涅槃会 (ねはんえ)
 釈迦入滅の日とされています。この日がいつかというと諸説あるようですが
 BC 386年の 2月15日というのが有力なようです。
 こんなふうに書くと、ではこの日付を現代の太陽暦に置き換えると何月何日
 ですかという質問がやってきそうですが、この質問には早々に白旗を揚げま
 す。

 2400年前のインドの暦がどんな仕組みで、どのくらいの精度で、またどれく
 らいきちんと管理されていたのかなんていう問題は、もう五里霧中です。
 では仏教が伝来して、涅槃会などを執り行うようになった時に先人達は、こ
 うした暦の違いをどう解決したのかというと、答えは、

  気にしなかった

 です。暦の違いなど気にせず(気づかず?)2/15は2/15で、そのまま使いま
 した。新暦に変わった後もこの先人の大らかさを見習って、そのまま2/15と
 すれば良かったのに、この行事は「旧暦の日付」でないといけないと思って
 いる方が多いらしく、旧暦や月遅れの2/15に法要を行うところもあるようで
 す。不思議ですね。

 日本でいわゆる旧暦が使われるようになる遙か以前に入滅しているお釈迦様
 が、後の世で使われる暦を知っているはずはないでしょうに。お釈迦様ほど
 の方なら何でもお見通しなのかもしれませんが、それなら、もう少し先の新
 暦の時代まで見通してくれたかもしれないのに・・・。おっと脱線してしま
 いました。軌道修正。

 ちなみに、釈迦入滅の日は2/15を旧暦の2/15と考えると、その六曜は仏滅に
 なります。あら、やっぱり仏滅は仏様が亡くなったときだったんですね、と
 言いたい所ですが、この話は眉唾。日本に六曜が伝えられてきた時には残念
 ながら六曜に「仏滅」なんて言葉はありませんでした。仏滅に近そうな、そ
 れらしい日として「空亡」というものがありましたが、空亡と仏滅では六曜
 の中の順番が異なるので2/15は空亡にはなりません。残念無念。

 仏様の入滅が2/15なら、その日を縁起の悪いものになるようにしようとして
 「仏滅」なんて言葉を発明して加えたのではないでしょうか。つまり後付な
 んです。こんな仏滅なんかに振り回されないようにしたいものです(あ、ま
 た話が脱線している)。

◇西行忌 (さいぎょうき)
 実は翌日の2/16も行忌です。亡くなった日付は文治6年(AD1190)2月16日なの
 で、明日の方が、忌日らしい忌日ですが、2/15も西行忌と言うようになった
 のは西行の生前の願いを叶えてあげるためなのです。西行といえば、

  願はくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月の頃

 の歌がことに有名。西行といえば桜と言われるほど桜を愛した歌人が、その
 桜の花の咲く頃、その下で死にたい。それは、きさらぎ(如月・二月)の望
 月(十五夜)の頃。

 ただ桜の花の咲く時期なら「春如月の頃」でよいはずですが、「きさらぎの
 望月の頃」とわざわざ限定しています。これは、西行が仏門にあったと考え
 ると理由がわかります。釈迦入滅と同じ日に自分も死にたいという二重の願
 いが「きさらぎの望月の頃」に込められているのです。

 そのため、実際に亡くなったのは16日でも、願いのとおり2月15日を忌日とし
 たというわけです。こうして二つの西行忌が出来てしまいました。

◇兼好忌 (けんこうき)
 西行から遅れること 160年。正平5年(AD1350)2月15日が徒然草で有名な兼好
 法師が亡くなったとされる日です(この2年後も存命であったという説もあ
 りますが・・・)。
 
 こちらには西行のような「ドラマチックな話題」はありませんが、代わって
 面倒くさい話が一つ。それは元号の話。
 兼好が亡くなったとされる正平 5年は西暦では1350年ですが、この1350年に
 当たる元号はと調べると

  AD1350年 = 正平五年 = 貞和六年 = 観応元年

 まず、この時代は南北朝時代なので南朝と北朝の二つの元号がある。この区
 分で言うと、

  南朝 ・・・ 正平
  北朝 ・・・ 貞和、観応

 なぜ北朝に二つの元号があるかというと、貞和は六年まで。そしてAD1350は
 貞和六年。そしてこの貞和六年は途中改元が為されて、観応元年に。

 昔の伝統では年の途中に改元が為されると、その年の初めまで遡って元号を
 かえるので、歴史的には貞和六年という年が確かにあっても暦的にはこの年
 は観応元年と扱われます。
 昨年、2019年には年の途中に改元が行われ、

   2019年4月30日 = 平成31年4月30日
   2019年5月 1日 = 令和元年5月 1日

 となりましたが、昔の方式では改元が5月に行われても1月1日までさかのぼ
 って新しい元号となったと見なしていたのでした。ややこしいですね。
 まあ、重箱の隅をほじくるような話ではあるのですが。

 こぼれ話なのでついでにもう一つ。
 兼好法師というと普通は「吉田兼好」と呼ぶことが多いのですが、ご本人は
 「卜部兼好(うらべかねよし)」でした。

 生家、卜部家が京都吉田神社の神官の家系で、子孫が吉田姓を名乗ったため
 後世「吉田兼好」と呼ばれるようになりましたが、何せこれは後世の話です
 から、本人が「吉田」を名乗ったことはないはずです。

 最後は、全く暦と無関係の、こぼれ話でした。

  (『暦のこぼれ話』に取り上げて欲しい話があれば、
   magazine.std@koyomi.vis.ne.jp までお願いします。)

オリジナル記事:日刊☆こよみのページ 2020/02/15 号

こよみのぺーじ 日刊☆こよみのページ スクラップブック