こよみのぺーじ 日刊☆こよみのページ スクラップブック  (PV , since 2008/7/8)
■暦注は発見か発明か?(私見)
 本日は、Oさんからいただいたメールから話を始めます。

 ------------- Oさんからのメール --------------
 Subject:  質問です!

 いつも楽しく学んでいます。 Oと申します。
 一つ知りたいことがあってメールします。
 天赦日についてお聞きしたいです。
 これは、どこかの誰かが発明したのでしょうか?
 よろしくお願いいたします。
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 もちろん本当は「Oと申します」ではなく、お名前が書いてありましたけど
 内容とは関係ないので、イニシャルのみにて失礼します。
 Oさんに無駄な期待を抱かせてしまってはいけないので初めに答えておくと

  誰が発明したのかわかりません

 というのが私の答えです。
 私の不勉強というのもあるかもしれませんが、おそらく一所懸命に調べ上げ
 ても、その発明者を特定することは出来ないのではないかと思います。
 その辺の話は、これから追々。

◇暦注は発見か発明か
 発見とは、既に存在していたけれど、知られていなかったものが見いだされ
 ること。たとえば、「新惑星発見!」なんていうのが発見です。人間が見つ
 けようが見つけまいが、発見された惑星は元からあったわけですから。

 また、「ニュートンが万有引力の法則を発見した」のような使い方もありま
 す。ニュートンがリンゴを落ちるのをみて発見する前から、万有引力の法則
 は成り立っていて、リンゴは数限りなく落ちていたはずですからね(もった
 いないことに・・・)。

 「発見」対して「発明」という言葉があります。こちらは新しい物事を考え
 出すこと。言葉としては新しい道理を明らかにするという意味もありますが
 それを言い出すと「発見」との差がわかりにくくなるのでここでは

  発見:既にあったものを新たに見いだすこと
  発明:新しい物事を考え出すこと

 として使うことにします。
 この使い方からすると、質問にあった天赦日のような暦注は発見か発明か。
 私の見方は「発明」です。

 日によって本当に吉凶があって、その吉凶の巡りに何らかの法則があるのだ
 とすれば、暦注は発明ではなく発見のはずです。万有引力の法則が発見であ
 るように。

 ただ、ニュートンが万有引力の法則というアイデアを思いついただんかいで
 は、これは「発明」といってもよかったと思います。新しい物事を考え出し
 たわけですから。しかしその思いついた法則を現実の天体に当てはめてみる
 と、

 ・惑星や彗星、小惑星などの正確な位置予測が出来た。
 ・天王星の位置予測のずれから、未知の惑星の存在と位置を予測し、その位
  置を探したら海王星が見つかった

 のように、現実によく合致したものであることがわかり、単なる思いつきの
 アイデアではなく、自然界に元々存在していた、それまで知られていなかっ
 た法則を「発見」したと認められるようになりました(その後、万有引力の
 法則では説明できない事象が確認され、相対性理論へと進んだという話は、
 皆さんご存じの通りなので省略)。

 日刊☆こよみのページでは幾度も書いてきましたが、暦注の多くは、昔々の
 科学的仮説であった、陰陽説と五行説と結び付いて考え出されたものです。

 日に六十干支をつけて示すことは、遙か殷王朝時代から行われていたといい
 ますし、年や月も六十干支をつけて示すようになってからも二千数百年が経
 過しています。この六十干支の十干(天干)にも十二支(地支)のどちらも
 陰陽五行説による「性質」が紐付けされているため、その組み合わせによっ
 て、日毎に様々な陰陽五行説的な説明が行われるようになったのです。

 たとえば「丙午」は丙も午もどちらも、火性であり陽性という性格の十干と
 十二支なので、この二つが組み合わさると

  火性×火性 → とっても強い火性

 のように考えるわけです。この考えから、丙午の年は大火があるのではとか
 この年に生まれる人は気性が激しい(火のように)のではないかといった予
 測(勝手な思い込み)が生まれました。

 陰陽五行説が本当に現実を正しく表現出来る理論であれば、万有引力の法則
 のように単なる思いつき、仮説の域を脱していたでしょうけれど、残念なが
 ら科学の世界では、その有効性を認められるものとはならず、「科学」の世
 界からは忘れ去られることになりました。

 その結果、陰陽五行説という科学理論によってその日の出来事を予測できる
 と、大昔は真剣に考えられていたことも、陰陽五行説の科学理論としての有
 効性の消滅とともに、「迷信の世界のもの」となったのでした。

 万有引力による惑星運動の予測も、陰陽五行説に基づく日の吉凶の予測も、
 その始まりは誰かの思いつき、発明でしたが、その後の検証の結果、万有引
 力の法則という思いつきは、自然界に存在した法則を見いだしたものという
 自然法則の発見という地位を得ました。

 しかしながら、陰陽五行説に基づく日の吉凶判断には、これを裏付ける事実
 が確認されませんでしたので、昔の人の単なる思いつきの域を出ることがな
 かったのです。こうしたことから

  暦注は発見されたのではなくて、発明(単なる思いつき)されたもの

 と私は考えています

◇暦注の発明者はよく分からない
 冒頭で「天赦日の発明者はわからない」と書きましたが、天赦日以外の暦注
 の発明者もわかりません(少なくとも今思いつく範囲では)。その理由とし
 て思いつく理由は次の3つ

  1.古すぎてわからない
  2.あたり前すぎてわからない
  3.判らないようにしているから

 一つずつ簡単に説明すると

 1.古すぎて判らない
  「釣り針を発明したのはだれですか」みたいなもの。
  釣り針が自然に出来たわけではないことは判りますけど、気がついたとき
  にはあったんです。誰が発明者といわれましても・・・。

 2.あたり前すぎてわからない
  「俺さ、大発見したんだ。夏は五行説では『火性』。だってあついもの」
  残念ながら、この大発見者の名前は記録には残らないと思います。あまり
  に単純すぎて、「誰でも思いついてしまうこと」だから。この「俺」以外
  にも山ほど同じことを考えついた俺や私や拙者がいたことでしょう。その
  中の誰が最初に発明したかなんて、探すだけ無駄です。

 3.判らないようにしているから
  意地悪な私は、結構これを疑っています。
  暦注って、段々と増える傾向があります。増えすぎて収拾が付かなくなる
  ので、渋川春海など、貞享暦を作ったときに整理したほど。
  なぜ増えるのかというと、増やすのは簡単だからということと、独自性を
  持たせたいと思うからでしょう。

  増やすのは簡単というのは、既に書いてきたように暦注はいわば勝手な思
  い込みでいくらでも作れるから。まあ、ある程度人を納得させるようなも
  っともらしい理由が思いつけば。

  独自性を持たせたいという点で思い浮かぶのは、一時期流行った「13星座
  占い」みたいなもの。誕生日の星座占いは一般に黄道十二獣帯と呼ばれる
  黄道に沿って並んだ12の星座を使いますが、この方式があまりに一般的な
  ため「誰が占っても同じ結果」になってしまう。となると、占いをする人
  は困る。13星座占い。

  黄道上には12星座以外にも「へびつかい座」の一部が入っている。みん
  なはそれを見落として、12星座で占っているが、この星座も入れるべきだ
  ろう・・・とどこかの誰かが言い出したわけです。私からすれば、どうぞ
  御勝手にですが、一時期はそれでも注目されたわけで、他と違うことをす
  れば、差別化できて自分だけのお客様を獲得できるかもと、占いをする人
  も考えるのでしょう。

  度々出てくる陰陽五行説は大昔の考えですから、その理論といってもかな
  り大雑把。その組み合わせの意味なんて、こじつけようと思えばいくらで
  もこじつけられます。ならば、今まではなかった新しい私だけの暦注を作
  ってくって、占っちゃおうかな?

  でも、これなら「発明者」の名前が残りそうですが、発明者があからさま
  だとまずいことがあります。もし私が占い師で、相談に見えられた善良な
  日刊☆こよみのページ読者に、

   「今日は『可和宇総日』、私が発明した大変めでたい日です」

  といっても誰もこの日がめでたい日だとは思ってくれない出しょうけれど

   「今日は八百年前に川獺大聖人によって書かれた日観経という経典によ
    れば『可和宇総日』という大吉日にあたるのです」

  なんていえば、信じちゃう人がいるのでは?
  このときの話で、経典は古ければ古いほどよい。経典が実在してもしなく
  ても、ほとんど誰も調べないから問題無い(架空のものなら調べようもな
  い)。自分自身が書いたといったら信用されなくとも、「川獺大聖人」な
  んて偉そうな名前の人を持ち出すと、何となくありがたいものだと思って
  しまう。人間、肩書きや権威に弱いですから。

  こんなわけで、どこからの誰かが新しい暦注を「発明」したとしても発明
  者の名前は隠すのが得策。どうしても書きたいときは、忘れられていたか
  つての聖人の書を再発見したのは自分と書くくらいかな?
  どちらにしろ、実利的にも暦注発明者の名前は残らないと思います。

 3番目が長すぎましたが、以上のような3つの理由から暦注の発明者の名前を
 知ることは不可能と言ってよいでしょう。

 「暦注は発見か発明か」という話はいつか書いてみたかったので、本日は読
 者の方からの質問に答えることと関連するということで書いてみました。
 質問をくださった Oさんへは「答えられません」という答えになってしまい
 ましたが、答えられない理由については、おわかりいただけたでしょうか?

 なお、本日の話はタイトルに「私見」と書いたとおり、縦横無尽に私見が入
 っております。その点をご理解いただき、お楽しみいただけましたら幸いで
 す。

  (『暦のこぼれ話』に取り上げて欲しい話があれば、
   magazine.std@koyomi.vis.ne.jp までお願いします。)

オリジナル記事:日刊☆こよみのページ 2020/06/06 号

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