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■暦の素朴な疑問・旧暦を太陰太陽暦というのはなぜ?
 昨日に引き続き、読者の方から提供いただいた暦のこぼれ話の種を使わせて
 いただきます。

 暦にまつわる「素朴な疑問」とでも言うもので、そんなことは百も承知とい
 う方も大勢いらっしゃるとは思いますが、簡単そうなことでも判らないとな
 んだか気持ちが悪いという感覚は、そうした方もお持ちでしょうから、そう
 した「気持ち悪い感覚」をお持ちの方をすっきりさせるための話だと思って
 おおらかな気持ちで、気楽にお読みいただければ幸いです。

 今回の話の種は、冥王星さんからいただいたもの。
 2つの話の種をいただきました。

 1.いわゆる旧暦のことを「太陰太陽暦」というのはなぜでしょうか?
  なぜうしろに「太陽暦」とつくのでしょうか?

 2.「陰暦」を「太陰暦」と「太」の文字がつくのも分かりません。
  単に「陰暦」というのとなにが違うのでしょうか?

 です。ついでに、2に関連した話として、もう一つ似た話として3つめの話

 3.中国の旧暦はなぜ農暦というのか

 についても書いてみることにします。

◇1.いわゆる旧暦のことを「太陰太陽暦」というのはなぜでしょうか?
  なぜうしろに「太陽暦」とつくのでしょうか?

 旧暦のことを、私はこだわって「いわゆる旧暦」と書くことが多いのですが
 これは、現在一般に言われる旧暦が明治改暦以前に日本で使われていた暦全
 般を指すように使われるの普通だからです。明治改暦以前に使われた暦は一
 つではありません。基本的な考え方は共通でも、細かな点では少しずつ違う
 複数の暦が使われていたのです。

 旧暦が一つの暦を指しているものでないことを意識して「いわゆる旧暦」な
 んていう使い方をしています。
 面倒で単に旧暦と書いちゃうことも多いので、絶対ではないですが。

 さて、このいわゆる旧暦の共通点は何かというと、それは

 (1) 暦月の区切りは月(太陰)の満ち欠け(朔望)の周期で決められる
 (2) 暦年の長さは太陽の年周運動を元に決められる

 という二つです。(2)については、もう少し現実の暦の作り方に則した書き
 方にすれば、

 (2)'暦年は太陽の年周運動を元に決められる正月〜十二月までの長さとなる

 となります。
 (1)について言えば、中国に生まれた暦の伝統では、新月(「朔」ともいい
 ます)を含む日から次の新月を含む日の前日までが暦の上の1ヶ月です。
 具体的な例として最近の新月を含む日を見ると

  2020/05/23, 06/21, 07/21

 のようになりますので、このデータを用いていわゆる旧暦の暦月を区切ると

  2020/05/23 〜 06/20
  2020/06/21 〜 07/20

 という二つの暦月を作ることが出来ます。いわゆる旧暦の作暦の第一歩はこ
 の新月を含む日による暦月を区切ることです。この第一歩は月の満ち欠けに
 よっております。この天体の月のことを「太陰」と呼ぶことから、太陰の周
 期によってつくられた暦として、まず「太陰」という名前が付きます。

 次に(2)です。
 (1)で区切られた段階では暦月には名前がありません。名無しの権兵衛の暦
 月の群れが出来ただけです。この名無しの権兵衛の暦月に名前をつけるため
 に考案されたものが二十四節気です。
 大昔の誰かが太陽の動きを見て、

  太陽が真南に見えるときの地平線からの角度が小さくなるに従って寒くな
  り冬になり、逆に高くなってくると暑くなって夏になる

 ということに気がつきました。この規則性に気づいた誰かがそれ以後注意深
 くこの太陽の動きの変化の間隔(日数)を記録して数えてみると、いつもほ
 とんど同じ日数になることに気がつきました。

  これは使える!

 と大昔の人は考えたことでしょう。この日数によって「四季」を示すように
 すれば、「暑くなる前に、いつ頃から暑くなるかを予測できるはず」。そし
 て四季の巡る周期である「年」という長さと太陽の動きが結び付きました。

 さてここで一つ問題が発生します。
 一年の日数は365日前後もあって数えるのが大変。もうちょっと使いやすい
 ものが無いかと思って見回すと、(1)で作られた暦月というものがありまし
 た。1暦月の日数は29〜30で、これが12回繰り返されるとほぼ1年となるこ
 とが判りました。ならばこれを組み合わせよう。

 そうして生まれたのが「太陰太陽暦」です。
 どうやって組み合わせたのかと言えば、1年はだいたい12暦月だと判りまし
 たから、例えば太陽の南中の地平線高度がもっとも低くなる日、冬至から
 次の冬至までの日数が、365日だとすれば単純に

  365 / 12 ≒ 30.4

 なのでこの倍数を使って
  1月   0.0日
  2月  30.4日(切り捨てて 30)
  3月  60.8日(切り捨てて 60)
   (中略)
  12月 334.4日(切り捨てて334)
 となる日を含む(1)で決めた暦月を1,2,3,・・・12月と呼べばいい。この均
 等間隔を作り出しているものが太陽の動きにしたがって作られた二十四節気
 です。

 ※二十四節気の作り方には大きく二通りあって、一つはこの例のように1年
 の日数を均等割する方式。もう一つは黄道という座標で均等割した角度と太
 陽位置を結びつける方式。の現在は二十四節気は後者なので、今回の説明と
 は微妙に異なるのですが、作暦の原理の説明としては問題にならないので、
 今回は深入りしないことにします。

 二十四節気は「太陽」の動きによって決められたものなのでこの部分だけ見
 るとこの暦は「太陽暦」になります。

 中国に生まれて日本に伝来した暦は、(1)の太陰の暦と(2)の太陽の暦を組み
 合わせた暦なので「太陰太陽暦」と呼ばれています。
 太陰太陽暦という暦を短く説明するとすれば、

  暦月は月の満ち欠けによって、
  暦年は太陽の年周運動によって決定している暦

 と言えばよいと思います。日本で明治改暦以前に使われた暦は原理的に全て
 今まで説明してきた通りの作り方で作られた暦なので

  日本の旧暦は太陰太陽暦

 と言われることになったという次第です。

 2.「陰暦」を「太陰暦」と「太」の文字がつくのも分かりません。
  単に「陰暦」というのとなにが違うのでしょうか?

 1が長くなり過ぎました。ようやく2です。でも2は短くて済みますよ。
 まず、辞書の説明を援用させていただきます。

 【陰暦】(いんれき)
  (→)太陰暦に同じ。
  伊藤左千夫、野菊の墓「陰暦の九月十三日今夜が豆の月だといふ日の朝」
  対義語→陽暦
   《広辞苑・第六版》

 ということで、説明終わってもいいかもしれませんね。
 基本的に、ほとんどの暦は太陽と月(太陰)の周期性を使って作られている
 ので、太陽暦、太陰暦、太陰太陽暦のいずれかだと考えてまず間違いありま
 せん。

 なお、太陽と太陰は天体としての日月の呼び名。陰陽二気説で日月という大
 きさ的によく似た天体を陽と陰に分けたもの。「太」の大きなもの根源的な
 ものをあらわすものとして、このとても目立って重要な天体の名につけられ
 たものだと考えます(語源の問題なので、この点は自信をもっては言えませ
 んが、ご容赦ください)。

 明治改暦から使われたいるグレゴリオ暦は太陽暦なので、略して陽暦。これ
 に対してそれ以前の暦には月(太陰)の要素が加わっているので陽暦と区別
 して陰暦(太陰暦の要素も持った暦)と省略しただけのことでしょう。

 ちなみに、暦の話で太陰暦の省略として「陰暦」とするとイスラム暦に見ら
 れる純粋な太陰暦のことのように思われる危険性があるので、私はあまり使
 いません。日本に限って言えば、記録に残っている限り純粋な太陰暦は使わ
 れたことがないので、「陰暦」といっても誤解はされないと思いますが。

◇3.中国の旧暦はなぜ農暦というのか
 最後はおまけです。
 私はことある毎に、

  農暦という言葉は、農業に役立つ暦という意味ではありません。
  単に中国の田舎(農村とかね)などで今も使われている中国の旧暦。

 と書いております。
 くどいほどそう書いているのは

  農暦は農業に適した暦として古くから使われてきた暦です

 なんていう妄説を書く本が多く、またこうした妄説を信じてしまう方も多い
 からです。
 中国も現在は太陽暦(グレゴリオ暦)を用いておりますが、日本の旧暦がそ
 うであるように、新しい慣習が浸透しにくい田舎では今でも、祭やお祝いを
 太陽暦改暦以前に使っていた太陰太陽暦によって行うところが多く、そうし
 た中国の旧暦を「農暦」と呼んでいるのです。

 現在と違い、日本でも中国でも暦は国の統治権の一つの象徴であって、これ
 を作ることが出来るのは国だけでした。計算方式の如何に関わらず使う暦は
 国が認めて配布する一つの暦だけでした。
 暦が一つしか無いのですから、その呼び名は「暦」だけでよかったのです。

 わざわざ「農暦」という言葉を作ったのは、今は暦を自由に作れるようにな
 ったので、国が認める正式な「暦」以外の暦が存在するようになったので、
 これを区別するために「農暦」という言葉が生まれたというのが本当の話。
 田舎でよく使われる暦なので「農暦」でいいんじゃない? ということなん
 です。

 ちなみに、農暦の元になっているのは清朝が滅亡するまで使われていた中国
 最後の太陰太陽暦、時憲暦です。「農暦」という言葉は、清朝が滅びた後に
 生まれた言葉であることは間違いないので、言葉としての歴史は清朝滅亡の
 1912年より古いと云うことはありません。
 なーんだ、そんなものか、なんです。

 以上、とっても長くなってしまった本日の「暦についての素朴な疑問」でし
 た。「こんな話、今更たずねるのも何だな・・・」とためらっている方がい
 らっしゃったら、迷う必要はありません。
 送ってください。送ってもらえても答えられないかもしれませんけどね。

  (『暦のこぼれ話』に取り上げて欲しい話があれば、
   magazine.std@koyomi.vis.ne.jp までお願いします。)

オリジナル記事:日刊☆こよみのページ 2020/06/14 号

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