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FAQ 暦の歴史に関する疑問

目 次


1年が12ヶ月なのははぜ?

A.人類が最初に作った暦が太陰暦だったという名残です。月の満ち欠けは1年におよそ、12.37回。月の満ち欠けという目立つ現象が12回繰り返されると1年がすぎたと、気づくことから暦は始まったといえるでしょうね。

現在の1月1日はどうして決まった?

A.古代ローマ時代の暦に起因します。がんらいは3月が年首でしたが、政治家の任期は新年の2ヶ月前に切り替わる慣習があったため、ユリウス暦への改暦の際に、政治の年度の区切りを優先し年首を2ヶ月前進させて今の位置に変更しました。
現在の年首に天文学的・気象学的意味合いなどはありません。ちなみに、閏日が2月に入るのは、2月が年末の月であった当時の名残です。

現在の1月1日はどうして決まった?・・・その2

A.1月1日の決め方 とありましたのでその線で答えます。
「太陽暦」が現在広く使われているグレゴリオ暦を指すとすれば、1月1日を決めるのは簡単です。
 平年なら3月21日の79日前
 閏年なら3月21日の80日前
と決められています。
そして、この3月21日はキリスト教の教会暦では春分の日にあたることになっています(天文学的な春分の日であるわけではありません)。グレゴリオ暦はカソリックが宗教上の儀式を円滑に行うために作られた暦で、春分の日は復活祭の日付の算定に用いる重要な日付で、キリスト教では春分の日は3月21日と決められているため、動かすことが出来ません。あとは、1月と2月の日数が決まっているので、自動的に1月1日は現在の位置に来ます。
 本来は、年首の位置はどうして決められたのかという「意味」をお尋ねなのでしょうが、そう言う意味では現在の年首にさしたる意味はありません(それは、太陰暦においても同様。王朝によって年首の月をかえていたことを見てもそれは明らか)。
 とかく年首に天文学的な意味などを見出そうとする人がいるのですが、天文学的な意味を見出せるほど正確な記録をとるためにはそれなりの「暦」があって、長期間使われていることが前提となりますが、それなりの暦が長く使われているとすれば、よほど劇的な効用が無ければ、大きな改暦は出来ません(社会的な影響が大きい)。そんなに困らないなら、古くから使っている暦を「ちょっと改良して使い続ける」ほうがいいとみんな考えるようです。

鎌倉時代の春分秋分とお彼岸の日時

2006-01-17 (火) 17:00:40.鎌倉時代の春分秋分とお彼岸の日時について、その時代、年ごとに春分秋分の日は10日程度とかとかずれますが、お彼岸もあわせてずれている(+2日目から8日目まで)のか教えて下さい。また御盆の日は、7.15を中心として7.13-16日でこちらは日時でフィックスされていたのでしょうか。以上よろしくお願いします。らは --

A.春分の日・秋分の日は太陽の位置に基づいて定められるものですから、太陰太陽暦を用いていた時代ではその日付は年ごとに0〜30日ほど変化します。質問中にあった10日程度のずれはこのためです。
彼岸に関しては、多少の定義の違いは有っても、春分・秋分の日付に関係して求められていましたから春分・秋分の日付けが変われば彼岸の日付も変わります。
鎌倉時代に使われていた宣明暦では、彼岸入りは春分・秋分の日から3日目と定められていました。
詳しくは暦と天文の雑学の お彼岸の日付の変遷 をお読みください。

盆の日付については、日付に固定されておりますので7.15前後となります。日付については、地域・時代で若干の変化があるようです(お盆のはなし)。


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Last-modified: Tue, 07 Sep 2004 16:35:50 JST (5153d)