桃源路の風のたより・・・

〜中国河南省 からの、風のたより〜

2007-09-10 もうすぐ中秋節

月餅4.jpg

中国では今日9月10日は「教師節」なのです。
朝から花やラッピングした小物を手にした学生をたくさん見かけました。
娘も昨日、先生に渡すのだと言ってなにやらカードを作っていました。

そして、9月25日(旧暦8月15日)は「中秋節」
中秋節といえば「月餅げっぺい」
街のあちらこちらに月餅の路上販売の赤いテントが並び始めました。

中国ではこの日、学校は休日となります。
そして、お正月の元旦のように夫の実家に帰ります。
つまり男兄弟の家族が集り食事をし、月餅を食べて祝います。

それと、日付が中秋節の日になったとたん友人から「おめでとう」メールが
どんどん入ります。このあたりもお正月のようです。
「中秋節、快楽!」


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2007-09-01 中国的小学校

入学.jpg

8月27日(月)から、新学期が始まった。入学式というものは無く
前日に説明会があって、次の日からすぐ授業。
月曜日から金曜日まで、初日からしっかり6時間授業というのでびっくりしました。
1年生から6時間授業〜!?・・2日目から宿題まで出るし・・!

授業は午前中4時間、午後2時間。
1時間目は8:00から。(45分間、休憩10分)
4時間目が11:15分に終わるので校門までお迎え。
昼食は各自家でとる。

午後の授業は15:00からなので、昼寝ができるぐらいお昼休みはたっぷりある。
午後は16:40終了。その頃目指してお迎え。
1日2往復、自転車で片道7・8分。
午前中は結構時間がありますが、午後は送って行ってまたすぐ迎えに行く
ような、ちょっとせわしい感じ。

それと自転車に乗るのは何年ぶりだろう・・5年?・・7年?
なので、3日前から子供を乗せて練習開始。
中国で自転車デビューとなりました。(私も1年生?)

とにかく1日のリズムをつかむ事・・かな?と思っております。子供も、私も。


お名前:

2007-08-28 庭の花

にらの花3.jpg

食材になるのを免れた、韮の花が咲きました。
花びらが6枚、白くてかわいい。

あさがお.jpg

こちらは「あさがお」。やっと咲きました。
芽が出てきた時、義母が「間引しないと花が咲かない」と言ったのですが
娘が間引きするのをいやがり成長とともに、だんご状態になっていった。

花が咲かないのはそのせいかもと、諦めかけていた。
数は少ないが、一応咲いた。よしよし。

庭の花1.jpg

こちらの花は何という花でしたっけ?
よく見かけるポピュラーな花ですよね・・。
うちの庭でこの時期見られる花はこの3種類だけ・・ちょっとさみしいかな。


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2007-08-25 韮の花

にらの花.jpg

あ、暑い!蒸し暑い!まるで名古屋のようです。
このところ雨が降っても数分で止んでしまい、涼しくなるに至らず蒸すだけ。

そんな中、庭の韮(にら)が花のつぼみをつけました。
昨日写真を撮ったら、今日はかなくも、つぼみまで餃子の具になってしま
いました。
そういえば韮の花は、誕生花の中にあるのかなと機能が追加された「今日
の誕生花」で検索してみたところ、残念、無いみたいですね。

2007-08-18 ようやく1年生

唐三彩2.jpg

皆様、残暑お見舞い申し上げます。
40.9度ですか・・聞いただけでめまいがしそうです。
昨日の中国中央電視台のニュースでもこの日本の気温のニュースがながれていました。

ここ鄭州は、立秋を過ぎてから気温が日中は30度前後となり
まだ少々暑くはありますが、37・8度が続いた7月の頃を思えば涼しくなりました。
朝と夜はさらに涼しいです。もう出来すぎなほど(二十四節気にぴったりで・・)。
私はまだ暑さが戻るのではと、どこか疑っております。

それはさておきそんな中、娘の小学校入学の申し込み兼、簡単な面接がありました。
日本国籍の娘は中国人の夫の戸籍には入れず、それが入学の障害となって
ずい分心配しましたが、最後は姪っ子の活躍で無事入学への運びとなりました。

皆さん。中国は人脈(コネとも言う)大事ですよー。

またしても無関係な写真で失礼しました。唐三彩の結構大型のものです。

2007-07-30 ふたつめ

茶壷b.jpg

茶壺2つ目は、家の中から見つかった。
前に茶壺を購入した時、義母が家にも同じようなのが有ると言っていた。
部屋のかたづけをしていて、それが出てきた。

箱を見ると、なんだか見覚えがある。
たしかこちらに来た頃、棚にのっていた。
あっこれそうだったんだー。
中を見ようともしなかった・・興味がない時はそんなもの。

箱に「紫砂名壺」なんて書いてある。・・がこれは期待しないほうがいい。
お茶は何を飲もうかな〜。

紫砂壺・・中国江蘇省の宜興(ぎこう)で生産される茶壺の総称。

2007-07-25 スイカの季節

すいか.jpg

雨期なので雨が降るのは普通ですが、今年は昨年より雨の日が多い気がする。
でもバケツをひっくり返したようなスコールは、ここ鄭州では今年はまだ一度もない。

今日は久々に晴れて暑くなった。
外には、スイカを売る車が並んでいた。
お隣の開封市と、間に位置する中牟県は共にスイカの産地。
そこから農家の人が泊りがけで売りにやって来る。
1キロ1元(16円位?)。
夏はスイカ食べまくりです。

写真は少し前の夕方に撮ったものです。道端にねころんで休んでいます。

2007-07-08 電視劇2

西遊記1.jpg

夏休みに限らず、少しまとまった休みに入ると必ず始まる・・といっていいほど
放映されるのが「西游記」

夏休みに入り、やっぱり始まりました。
この西游記、1980年に製作され同じ配役で何度かリメイクされたのか、それとも
かなり長い撮影期間を要したのか、始まりと終わりではかなりメイクや
美術や映像が違っています。
もちろん良くなっているわけですが。

そしてずーと繰り返し繰り返し放送されて、二十余年。
ここまで永いと中国の子供達は皆同じ西游記を見て育ったと言っても
過言ではないですよね。

この西游記で孫悟空役をしているのは、「六小齢童」という役者さん。
動きがとにかくすごいんです!身軽で仕草もサルみたいで。
この後この孫悟空以上の孫悟空が現れるのか・・と思ってしまうほどです。(大絶賛!)

もし見る機会があれば、ぜひ見てみて下さい。(注、まわし者ではありません)

2007-06-28 お食事会

鳥1.jpg

日曜日。結婚式から帰って程なくして電話がなった。
今晩、鄭州に居る日本人の食事会(飲み会?)があるので来ませんかとの事。
もちろん参加。夫と子供も一緒に行きました。
実は昨年末にも忘年会に3人で参加させていただいたのですが、博物院のアップで
時をのがしてしまいました。

誘って下さったのは市内の大学で日本語課の教師をされている、A先生。
実は私も昨年3ヶ月だけ携わっていたので、その時からの知り合い。・・といっても
A先生とは時間帯が違ったので、忘年会で初めてお話したというのが事実。

今回集ったのは30人ほど。忘年会の時よりは少ないのですが、留学生以外にも企業で
鄭州に来てみえる方とか、半数は初めてお会いする方でした。

それより何より、A先生がこの6月末で帰国すると聞き・・ショック!
初めから2年と決めていたそうです。
彼女は3ヶ国語を話なし、20代とは思えないほどしっかりしていて、面倒見もよく
学生からの信頼厚き先生。・・帰国後もこの仕事を続け、学校も決まっているそうです。
一回り以上も若い彼女に、見習うべきこと多し・・です。

今回の主催者のF君や留学生の中にも卒業して帰国する人が何人かいて、見送る側は
ちょっと淋しいですね。
でも皆、次なる目標がしっかりしていて当人は不安もあるでしょうが、目を輝かせて
話すのを見て聞いて、頼もしい限りでした。

写真は鳥ですが、昨日から蝉が鳴き始めました。暑いです・・。

2007-06-25 結婚式

結婚式2.jpg

日曜日。夫の大学時代の後輩の結婚式に出席しました。
中国に来て結婚式に参加するのは、これで3回目。
(前の2回はどちらも甥っ子の結婚式で新密市でした。)

今回は鄭州市内のホテルでの結婚式でした。すごい立派なホテルで感激。
ホテルに着くと、もう花で飾られた黒の高級車が止まっていた。
(これは、新郎が新娘を迎えに行って披露宴会場のこのホテルに到着しているということ。)

結婚式.jpg

司会の第一声で、新郎新娘(新婦のこと)の入場。(拍手とクラッカーと紙ふぶき!)
(写真はご両親に向って、おじぎを3回するところ。初めの頃です)

司会の進行は、日本のように最後まできっちり式次第があるわけではなく初めだけ
という感じです。
他に日本と違うのは(たくさんありますが・・)、ステージ上にもどこにも新郎新娘の
テーブルも椅子もなく、前半にお決まりの儀式が終わると、あとは新郎新娘が
すべてのテーブルをお酒を持って回り1人1人に注ぎ、1人1人から祝福をうけます。
このテーブルの数が昨日は12テーブルで11人掛け。子供の数を引いても100人以上。
すべてのテーブルを回るのに約2時間ぐらい掛かり、新郎新娘はかなり疲れたと思います。

結婚式3.jpg

2人が各テーブルを回っている間は、友人知人によるお祝いの言葉や歌があるわけ
ではなく、友人同士の会話がはずみ、よく食べよく飲み・・アルコール度50度ほどの
白酒(バイジュー)をホントよく飲みます。(気のせいかちょっとパイナップルの香りがします)

お開きの言葉はなく、食事に満足し2人への祝福をした人は順次帰って行きます。
私が座っていたテーブルは、デザートが来たころには誰もいなかった。

座席はステージに近いテーブルにご両親や親族、その後友人知人で、新郎側の友人か
新娘側かでテーブルが決められていますが、他は適当に座ります。

2007-06-21 こぼれ話

雲蝠.jpg

少し前のメルマガのこぼれ話に、今年は中国において「金豚年(金猪年)」というのが
ありました。
「金豚年」(猪は中国ではブタという意)というのは「金銖年」から変化したもので
「猪」と「銖」(貨幣単位)が同じ発音だからということのようです。
(詳しくはトップページより「日刊☆こよみのページ」6月15日、16日を参照下さい。)

この発音が同じという理由で有りがたく思ったり、忌み嫌ったりすることが、
他にもあります。

蝙蝠雲皿.jpg

例えば、「こうもり」・・漢字で「蝙蝠」と書きますが、中国読みをすると
「ビャンフー」。これは「遍福」(福が満ちる。という意)と発音が同じで
中国では蝙蝠は縁起がいいとされ、昔から写真のように陶磁器などの絵柄
となっています。

逆に、お祝いやプレゼントとかで腕時計を贈ることは日本ではありがちですが、
中国では「送鐘(ソンジョン)」と言って、これは「送終」というお葬式を出すという
言葉とまったく同じ発音なので、タブーとされてるようです。・・このあたりは、
旅行などのガイドブックにありそうですが。

こぼれ話の(さらに)こぼれ話でした。

2007-06-14 電視劇

再開と言いながら、その後すでに三週間も過ぎていた。
「こよみのページ」も大変だったようで・・。

パソコンがフリーズして、すったもんだの末やっと使えるようになった。
使えなかったのは約一週間。・・でテレビドラマにハマッた・・と言うほどではない。
(ハマルほど完璧にストーリーがわかるようになりたい。)

rignt,around

今見ている内の1つに「康熙微服私訪記」という、清の康熙帝のドラマがある。
水戸黄門みたいに、諸国を回って悪人、悪官僚退治をする時代劇。

時折出てくる文人趣味的な部屋を見てるだけで面白い。(どうしてもその方に目が行く)
机に置かれている文房具とか、茶道具や壺。お茶を飲んでるシーンとか。
あと冠婚葬祭のシーンは日本との違いが興味深い。

写真はその康熙帝(清の第4代皇帝)。(張国立という俳優さん)
いつもは平民と変わらない服装で街中を歩いているがクライマックスでは身分を明かして
一件落着!
中国のドラマ、特に時代劇はとってもお薦めです。
日本で放映すればかなりはまる方多いと思います。

余談ですが、カツラと肌の境目がまったく判らないのです。
例えば清の時代は辮髪(べんぱつ)で前半分スキンヘッドで後ろ半分にあの長いみつ編みのカツラなわけですが、本当にはえているみたいで。
現在なら技術の向上で納得できますが、かなり古い時代劇でも(・・って変な言い方ですが・・) 技術が高いと関心してしまいます。

2007-05-18 再 開

久々の「風のたより」になりました。

娘の風邪をこじらせてしまい、今年のゴールデンウィークは毎日病院に
いました。(どこかで聞いたような話・・?)・・ただし入院ではなく
通院ですが。
大分よくなりましたが、まだ家で安静にしていなくてはいけないので、
幼稚園にも行けなくなってしまいました。
今はじっとしてられないほど元気になり、少しホッとしていますが
逆に動き回らないよう、私はもっぱら監視役。

そんなこんなの日々ですが、昨日は卒園写真を撮るため、午後から
久しぶりに幼稚園に行き、お友達に会えて大喜び。
私もまた、風信を再開したいと思います。

昨日の気温は34℃。風も暑い。みんなノースリーブ。

2007-04-20 古代時計

日規.jpg

「日規」

中国最古の影を利用した時計。(時代不明)
下のレリーフの模様がいかにも中国っぽい雲でした。

ここは4階の展示室、パンフレットには恐竜の卵が展示されているのですが 天文に変わっていました。

時計4.jpg

文字盤には、真上に「正子」(午前0時)、左へ順に「初丑」「正丑」 「初寅」「正寅」
「初卯」・・・。と刻まれています。一瞬時計と逆周り?と思ってしまいましたが、
南向きに置き(あたりまえか。)東(右)から西(左)に太陽光を受けるので、
当然影は左から右へ移動するわけですね。
でも、夏と冬では、時間の長さが違ったでしょうね。

観星台.jpg

「観星台」(模型)元代

模型とはいえかなり大きなものでした。実物は、少林寺がある登封市にあります。
上がどのようになっているかは、分かりませんが、両側に階段がついていて、
実物は上ることができるようです。

2007-04-18 青 磁

鈞窯1.jpg

「鈞窯天藍釉彩斑盤」宋代・遂平出土(駐馬店市)

めずらしく体調をくずしたのと歯痛で、アップが遅れてしまいました。
写真は、北宋時代の御用窯だった「鈞窯」(きんよう)の青磁。
赤紫の部分は焼いている間の温度調整で偶然出るもので、窯変というそうです。

鈞窯2.jpg

「鈞窯天藍釉碗」「鈞窯天藍釉瓷尊」宋代

この北宋時代に造られた物で残っているものは少ないそうで、ここ博物院にも、
鈞窯のものは7個、汝窯は6個しかありませんでした。
この青は、とてもいい色でした。

汝窯1.jpg

「粉青釉蓮瓣瓷盃托」「青釉刻花瓷盒」宋代

こちらは「汝窯」(じょよう)、同じく北宋の御用窯でした。
右のような青くないのも青磁なのだそうです。
「鈞窯」と「汝窯」は、どちらも河南省にある窯です。

汝窯の青磁に魅せられて、その再現に生涯をかけている日本人陶芸家がいることを
最近知り、実はそれで汝窯の作品を観たくなり博物院にでかけた訳なのですが、
その陶芸家が魅せられたという「天青」とか「天藍」と言われる涼しげな青い色の汝窯はどうもここには無いようです。地元の窯なので期待したのですが。

2007-04-11 再び・・

蓮鶴方壺.jpg

春うらら・・再び河南博物院に行きました。
着いた時、観光バスから人が降りているところだった。
よく見るとバスに「王朝街道、王朝エクスプレス・・」なんて書いてある!
えっ?カタカナ?もしかして日本人観光客〜!?久々の日本人!
もしかして日本語のガイドも聞けるかも!・・と小走りで近寄ってみた。
でも添乗員は中国語で話している・・考えが甘かった。残念!

写真は「蓮鶴方壺」春秋時代。かなり大型の青銅です。
前に来た時は、まったく同じ北京博物館蔵のものと、二つ並んでいました。

玉1.jpg

「金縷玉衣」
例の怖くて入れなかった玉の奥の部屋です。
んーどうでしょう〜。

玉.jpg

銀色に光っていると思っていたのですが、近くで見るとその名のとおり、正方形の玉(グリーン系)を金の糸で繋げてできた衣でした。
でもやっぱり誰か中に入っている感じ。

ボケているのは手が震えて・・と言いたいところですが、カメラの腕が悪いだけ。

2007-04-05 清 明

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今日から二十四節気の「清明」
万物発して清浄明潔なれば、此芽は何の草としれる也(暦便覧)
清浄明潔の略。・・「二十四節気とは」のページより

写真の若葉は、我が家の胡椒の木。ついこないだまで枯れ木のようだったのに、
昨日よりも若葉が増えて生き生きしている。

そう彼岸の風習がない中国では、この時期にお墓参りをします。

ハーブ1.jpg

写真のミントも毎年庭に芽を出し、夏が終わるまで摘んでも摘んでも
新芽が出てくる。
我が家では、にんにくと生姜と一緒に潰して、香酢と混ぜ辛子を加えて
麺のタレにしたりします。

たまにはこういう「こよみのページ」っぽい話もいいですよね。(タレの話は、ちょっと違うけど)
カレンダーで「清明」と書かれているのを見て、毎日「こよみのページ」を見ているにもかかわらず、つい清と明の時代に何か関係あるのかな・・なんて思ったりして、・・なのでちょっと話題を変えて。

2007-03-26 黄 河

黄河1.jpg

魚を食べに、黄河に行った。(このパターンばっか)

初めて見る黄河。聞いてはいたが、でかい!向こう岸が見えない。
この河がどう氾濫したのか想像もつかないくらい穏やか。
悠々と流れている、黄色い大河だった。
昔から、水を見ると何故か安心する。癒される。

魚は期待をうらぎり美味しかった!・・内陸の鄭州でも魚はたまに食べますが、美味しいと思ったことがなく、まったく期待していなかった。(黄河さえ見られればよかった・・)。ところが、油がのってウナギのような味だった。

黄河3.jpg

黄河の砂はとても細かくて、河の水がしみこんだ砂は、ねんどのようにも、クリームのようにも見える。
でも、その上に立っても足が埋まったりしない。細かい砂の粒がぎっしり詰まっているせいか・・。(能登の千里浜のように車で走れそう。)

手にとって匂いをかいでみると、気のせいかほのかに潮の香りがした。
案の定、娘はドロ遊び・・。
それにしても、いつまで眺めていても飽きない河。

2007-03-22 中国茶

茶葉1.jpg

夫の友人宅で、100g1000元(約15.000円)というお茶をご馳走になった。
美味しいので聞いたらこの値段。おかげで何ていうお茶か、すっかり忘れてしまった。(我ながら小市民)。

1000元とは言わないが、美味しいお茶を求めて、お茶のお店へ。
夫は友人に連れられて、前に来たことのあるお店で、私も以前からそのお店の前を通るたびに、少し気になってたお店でもあった。

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お店のオーナーは、とっても穏やかな女性で、お茶や茶壺(急須)の話をしながら、何種類かのお茶をいれてくださった。(通訳なしで、こんな風に飲めたら・・いつか!)

なんかヤバイ!中国茶にハマリそう・・と思いつつ、鉄観音、台湾人参入りの烏龍茶、普耳茶(プーアール茶)をいただく。
なかでも、台湾人参入りの烏龍茶は最高に美味しかった。(これに決まり!)

茶壷.jpg

「茶壺」
ん〜!で、やっぱり購入してしまった。
茶壺と茶海(ポット?)と、もちろん烏龍茶。
茶杯と茶こしと茶こしうけは、サービスでいただいてしまった。

帰りは、お店の外まで出て、手を振って見送って下さった。

2007-03-19 散歩道が!

子産祠園.jpg

よく行っていた河沿いの散歩道が、実は「子産祠園」だったのです!
もう〜ビックリ! 「灯台下暗し」とはこの事かと思うほど。
子産祠園は、鄭州大学(旧校舎)の敷地を分断する金水河沿いの一部。

ここは市民の憩いの場。ゲートボールも5面ほどできる。
朝夕の散歩はもちろん、太極拳をする人、芝生に座って談笑したり、本を読んだりする人も多い。
立派な公園になっているわけではないが、「子産」の名がついた場所が 近くにあっただけで嬉しい。

そういえば、ここに来るのは久しぶり。(今年になって初めてかも・・)
でも毎日幼稚園の送迎のため、ここの西側の橋を渡っているのに・・。見慣れすぎて見過ごしていた。(嬉しいウッカリである)

「子産(しさん)」・・中国春秋時代の「鄭の国」の宰相。刑法を鼎に鋳造したことが中国最初の成文法とされる。亡くなった時、鄭の人で泣かぬ者はなく、孔子もその死を惜しんだほどの人物。(ちなみに、かわうそ博士のコメントにより、私が中国史にハマルきっかけとなった人。・・ナンテ)

2007-03-16 まだまだ、開封

外壁.jpg

ついついシリーズ化してしまいますが・・。(最終回です)
開封の街に入ると、城壁が見えてくる。(これぞ、城壁!・・商代遺址と比べてしまう)
北宋の時代は、三重の城壁に囲まれていたそうです。
北宋時代の外城の周囲:約22km、内城の周囲:約11km。
内城の内側にもう一重の城壁があって、その中に王宮があったようです。

現在の城壁は1842年(清代)造られたもので、周囲約15kmです。

鄭開大道.jpg

鄭開大道は昨年(2006年)10月(11月だっけ?)に開通。片側5車線の広ーい道路。
鄭州市のど真ん中を通る「金水路」から、開封市の「宋都御街」まで真っ直ぐ一本道。約70kmほど。
この鄭開大道、高速ではない為、時速制限60キロ。(80キロまでならOK)
ちょっと運転者には酷なくらい気持ちよくスピードを出したくなる道。
でもこの道の取締りは、かなり力入っているので要注意!

この鄭開大道の、ほぼ中間地点(鄭州市中牟県)に、魏の曹操が袁紹を破った「官渡古戦場」があります。

西門.jpg

「大梁門」
城壁の西門です。(門の向こうが城外)

今回見物したのは二ヶ所でした。(最大の目的が「小籠包」だった為)
それにしても北宋時代のもので現存しているのは、今回は行っていませんが、「鉄塔」と「繁塔(下3階部分)」だけというのが少し残念でした。

現在観光スポットとされている所は清代以降に整備されたものが多く、でも、それもそのはず原因は度重なる黄河の氾濫と戦争、地震との事でした。
(黄河の川底は、開封や鄭州の街より4〜5m高いのです。コワ〜イ!)

2007-03-13 開 封2

山陝甘会館.jpg

「山陝甘会館」
清(1644〜1912)の時代に開封市で商売をしていた山西省、陝西省、
甘粛省の三省の商人達が資金を出して建てられた。
館内の装飾が豪華で、石、煉瓦、木の彫刻が芸術的価値ありです。
建築的にも一見の価値有りで、宮大工の方なら時間を忘れるかも。

木彫り龍.jpg

木彫りの龍の口の中にある玉と舌は、わずか2ミリで繋がっているらしい。
きっと左甚五郎のような匠が造ったのでしょう。

関廟2.jpg

館内の奥の一部が、関廟になっていました。
商売と三国時代の武将関羽・・。あまりピンとこなかったのですが、
中国では「関廟」はかなり多くあり、神様的存在のようです。
この会館に入った中庭に大きく「忠・義・勇・仁」の文字があり、
他所から来ていた商人達にとって、商売繁盛だけではなく不当な扱いを されたり、さまざまな危険を除くために、関羽を祀っているようです。

余談ですが、(私が聞くところによると)中国では劉備は嫌われている・・といっても過言ではありません。

2007-03-12 開 封

龍亭2.jpg

「龍亭」
小籠包を食べた後、龍亭に行きました。
開封は7代王朝が都を構えた地。
龍亭の場所は歴代王朝の王宮があった所。 明代に周王府として再建され、清代に万寿宮に
改築された。別名「龍亭」と呼ばれた。
龍亭を中心にこの周辺は最も繁栄した北宋時代の街並みに
復元整備されていて、なかなか楽しめます。

龍亭1.jpg

階段(72段)を上り振り返ると、今歩いてきた入り口までの
長い道と左右の大きな湖がとてもいい景観。

この湖は、右(西)が「楊家湖」、左(東)が「潘家湖」といって
北宋時代の楊継業と潘仁美という二人の官吏の名がついているのですが
楊継業は公明で度量が広く、対照的に潘仁美は卑怯卑劣な人物だったという。
それを表すかのように「楊家湖」の水は澄んでいて「潘家湖」
は濁っているとか。・・確かに濁っていた。
楊家湖も澄んでるって程ではない。・・でも楊家湖では観覧船や
ボートでにぎわっている。泳いでいる人までいた!寒いのに。
徳の違いが湖にまで差がでるのでしょうか。

宋都御街.jpg

「宋都御街(東京御街)」
北宋の東京開封府。その時代の商業街であった御街の景観が
ここから北の龍亭の正門(午朝門)前までの400mに当時を真似て
同じ場所に再現された。ただ当時の御街は南は外城壁南門まで全長
5km余もあったそうです。

水滸伝の背景は北宋の時代。元宵節見物に開封に来た宋江達も
ここ御街に来ているんですよね。

2007-03-10 小籠包を食べに・・

服務員.jpg

小籠包を食べに、開封に行ってきました。
席にも着かないうちに、ウエイターさんが湯飲みにお湯を注いでくれる。
段々と乗ってきてそのうち背中越しに注いだりして・・。
こぼさないから大したもの、と感心。
(ちなみに写真に写っているのは私ではありません。)

お茶.jpg

菊の花、ナツメ、クコノミ、氷砂糖・・とあとはなんだろう・・?。

小籠包1.jpg

小籠包は開封の名物の1つだそうで、開封に以前住んでいたことがあるという、
知人のSさん家族のお誘いを受け一緒に行ってきました。
開封に行くのは6年ぶりで2度目。6年前も小籠包を食べたのですが 味の記憶がない。
でも今回は違う。めちゃくちゃ美味しい!「可好吃!(コハオチー!)」
わざわざ開封まで食べに来た甲斐ありでした。

2007-03-07 小正月も過ぎ・・

猪灯籠.jpg

小正月(3月4日)も過ぎ、爆竹や花火はこの日までだったようで、とても穏やかな日々が戻ってきました。
学校や幼稚園の冬休みも同じく4日の日曜日までだったので家の中も静かになりました。

小正月(旧暦の1月15日)は中国では「元宵節」(げんしょうせつ)と言って灯籠を飾って祝います。(灯籠は日本で言う提灯のこと) 町のあちこちに飾られてたり、売られてたりにぎやかでした。(デジカメ持ってなかった・・。)

商代遺跡東門.jpg

「商代遺址」
またまた行ってしまいました。今回は前回行かなかった北側に。
相変わらず土手が続くだけ(・・失礼しました。かつての城壁。)ですが、
ここに立ってるだけでなんか感動。
写真は山に見えますが、後ろにずっと城壁が続いています。

孔子の碑.jpg

「孔子の碑」
今回行った商代遺址の少し西に「文廟」という孔子を祀った廟が あるのを偶然見つけました。
中には入らなかったので様子はわかりませんが、門の外に孔子の碑が建っていました。
「孔子廟」は日本でも何箇所かありますね。
春秋時代、ここ鄭の国で孔子は門下達とはぐれたという話が残っています。

2007-03-03 ひな祭り

お雛様.jpg

我が家のお雛様。
ネットでダウンロードしたカードお雛様です。
とっても可愛かったのですが、プリンターのインクの調子が悪く、
サインペンで修正した(原作者さんスミマセン。)お雛様ですが、
朝起きたら娘はきっと喜んでくれると思う・・。(自己満?)
皆さんの気品あふれるお雛様を堪能しつつ、とりあえず記録として
アップさせていただきました。

2007-02-20 春節

紅灯籠3.jpg

新年好!・・遅くなりましたが。(あ、新年好き!ではなく、しんねんハオ!ということで。)
写真は前にボンボリと言っていたもので「紅灯籠」でした。
年末に撮ったものです。
新暦の年末の静けさとは打って変り、旧暦の年末年始は大盛り上がり!
大晦日は爆竹の音で目が覚め、そのまま鳴り止まず、日が暮れる頃から打ち上げ花火が加わって、とても眠れたものではなく夜中の3時まで続き、さすがに疲れました。
心臓の弱い方は旧暦の年末年始は中国に絶対来ないほうがいいです。
鄭州市では今年12年ぶりに爆竹が解禁となったようです。・・でも昨年のお正月もかなりうるさかったのですが・・。

公園1.jpg

「碧沙崗公園」
近くの公園です。写真は国民党との戦いで亡くなった人を称え、造られたものだそうです。
お正月とあってすごい人出でした。

公園書道.jpg

公園で地面に大きな筆で字を書いている方を見つけました。
もちろん墨ではありません。・・・「水」です。
消えていくのがもったいないぐらい達筆です。

2007-02-10 紫荊山公園

毛沢東像.jpg

「毛沢東の像」
前に紹介した、「二七塔」からまっすぐ北東に行くと、この巨大な毛沢東の像が現れます。
以前はここに、「河南省博物館」があり、博物館の前にこの像が建っているという形でした。
台座のさらに下に人が腰掛けているのが、分かるでしょうか。

紫荊山公園1.jpg

「毛沢東の像」から道路を渡ったすぐ東に「紫荊山公園」があります。
小高い丘の上から見ると、とてもいい眺めでした。
分かりづらいかもしれませんが、向こうの立体交差点では車が大渋滞。
赤く点々と見えるのは、道路にとりつけられた、お正月用のボンボリ(?って言うのかわかりませんが・・。)・・というか見えない?

紫荊山公園2.jpg

「方鼎」
この公園にもやっぱり有りました。方鼎のレプリカ。

2007-02-06 商代遺址

商代遺跡2.jpg

娘と二人で、「商代遺址」に行って来ました。

ここは安陽市の殷墟よりも500年程時代が遡り、約3500年前の商代(日本では殷代と言っていますが)前期の城跡ということで、1955年に発掘されました。
全長7kmの城壁で、ここから以前紹介した「紋銅方鼎」(河南博物院蔵)という大型の鼎やたくさんの青銅器、石器、陶器、玉器などが出土。

ここ一帯だけ、とても近代都市(?)の鄭州市とは思えない光景ですが、3500年の年月で城壁は土手と化し、道路で寸断され、家が立ち並んでいました。

商代遺跡1.jpg

城壁の東南の角にある「鄭州商代遺址」と掘られた階段中央の石碑は、子供たちが遊ぶ滑り台になっていました。そのおかげで(?)つるつるピカピカ!わが娘もご多分にもれずここでひとしきり石磨き・・?

商代遺跡4.jpg

地面にチョークで甲骨文字のような字を書いていました。

他にも散歩をしている人、トランプや将棋をしている人、コマをまわしたり、演奏していたりしている人々、ここは市民の憩いの場になっていました。

結構歩きましたがとても7キロには及ばず、広い道路で寸断されながらも、さらに北へ城壁は続いていました。
ここへもまた、何度も足を運ぶことになりそうです。

2007-02-01 二七記念塔

二七塔.jpg

「二七記念塔」

そういえば鄭州市内の紹介をあまりしていませんでした。
この二七塔は、1923年2月4日京漢鉄道の労働者によるゼネスト(3日後の2月7日、武力鎮圧される。)を記念して1971年建てられました。
二つの五角形がくっついた形で、高さ63m、12階建て。
時計台にもなっていて、毎時間時刻を知らせてくれます。
鄭州市のシンボルタワーとなっています。

この二七塔周辺が、鄭州市一番の繁華街。「すべての道は二七塔に通ず」・・ではありませんが、この塔を中心に道路が放射線状にのびていて、一日中混雑しています。

2007-01-30 新密市2

黄帝宮.jpg

新密市に行ったので、「黄帝??」の看板の写真を撮ってきました。

「黄帝宮風景区」・・聞くところによると、ここは城壁があって、黄帝時代のものらしいのですが、遺跡として確かな物が出土していないそうです。今回は行っておりません。

新密インター.jpg

鄭州からは、片道10元・・実は一般道を走っても、10元かかるのです。
新密までの一般道路は大分良くなりましたが、積載量オーバーのトラックや、スピードが出ない車や、それを追い抜こうと反対車線に、はみ出して走る車(こういう車が多い!)それに横断しようとする人や犬。砂煙。
市内に用があるだけなら絶対高速でいくべし。ただ、高速は市街地よりも北を通っているので、炭鉱の多い南の方へ(住宅も多い)行く車は、一般道を使う方が便利なようです。

さとうきび.jpg

「さとうきび」 わざわざ新密市で撮らなくても、鄭州にもあるのですが。

カメラを向けたら照れ笑いをして横を向いてしまいました。 買う時に皮をナイフで削り、30センチ程の長さにしてくれます。
皆、バキッ!シャリシャリ、ペッ!と歩きながら食べてます。
とってもジューシーで、ほんのり甘い。私は歯もあごも弱いのか一苦労。でも時々食べれば、歯ぐきが丈夫になるかも。

2007-01-20 古代王朝

桃源路1.jpg

最近すっかり、中国の歴史にハマッテいます。

今、殷代(商代)の前の「夏」の時代に興味があって・・と言っても、暑い「夏」ではなく、「夏」(か)です。(・・知ってるよ!という声が・・)
以前紹介した、炭鉱の町「新密市」の南に位置する「新砦村」で今から約4000年前の夏王朝(紀元前2070〜前1600年)の都であったという遺跡が2004年に発見された。
これは夏の初代皇帝「禹」(う)の子で第二代「啓」(けい)の王朝であると「放射性炭素年代測定法」なるもので、地層や出土品を分析し推測された。
これ以前にも、河南省偃師県(えんしけん・現在は市、洛陽のすぐ東)で「二里頭遺跡」という夏王朝の遺跡が発見されており、これは紀元前1600年以前の夏王朝晩期の古代都市跡だと2000年7月に発表されたようです。

高校の世界史の中国史は、殷から始まっていたと記憶する。
それ以前は伝説であったのに、すごいですね。時間も科学も人間も。

司馬遷の「史記」には夏代の前の「五帝時代」も書かれているようなので、読んでみたい。そういえば新密市に高速で行くと、新密インター直前に、「黄帝??」という標識が出てくるのも気になっている。いろいろ写真で紹介したいと思っています。

写真といえば、本日の写真は内容とはまったく関係ありません。何か有った方が良いかと・・。

2007-01-11 博物院 最終回 

王子午鼎.jpg

「王子午鼎」・春秋時代。
淅川県(南陽市の西)出土。

鼎2.jpg

「環耳素面敦」・春秋時代
淅川県(南陽市の西)出土。

入り口.jpg

最後に、敷地内から写した博物院です。

今回見落とした、展示物や展示ルームもありましたが、一つどうしても恐くて入れない部屋があった。展示してあったのは「金縷玉衣」。金というより銀に見えたが、銀の正方形のタイル状のものを敷き詰めて作られた人間の形というか、全身を覆った鎧というか・・。それが。頭が手前で、足が奥。という台に寝た状態で展示されていた。 初め、何か判らなくて、少し近づいてギョッとした。それほどリアルな形ではなかったが、中に誰か入っている感じ・・。こんな時に限って、監視員もいないし、見学者もいないんですよね。 今度行った時は、是非写真を撮って、お見せしたいと思います。

ごく一部の紹介でしたが、5回に渡ってのシリーズのようになってしまいました。 今日は、鏡開き、蔵開きの日。ってことで、博物院シリーズはひとまず「お開き」にしたいと思います。

2007-01-10 その4 陶磁器

唐三彩1.jpg

「三彩双竜尊」・唐代(紀元618〜907年)

唐三彩は他にも写したのですが、ピンボケ。
唐の時代の都は、今で言う西安(陝西省)でしたが、洛陽(河南省)が東の副都とされ、唐三彩はこの洛陽でおもに焼かれたようです。焼いた窯(黄冶窯址)も発見されました。

梅瓶.jpg

「白釉黒花瓷梅瓶」・北宋(紀元960〜1126年)
鎮平県出土。

鎮平県てどこなんでしょう?北宋の都は開封なので、開封の近くでしょうか。(ちなみに中国では市の中に県があります。日本とは逆です。)

陶磁1.jpg

「青花纏枝蓮葫芦瓶」・明代(紀元1368〜1644)

こういう唐草模様と色、なぜか好きです、昔から。
ほとんど解説不可能になってきました。
(写真のみご覧ください。・・のような。)

2007-01-09 その3 玉(ぎょく)

玉1.jpg

左、「玉戚」(ぎょくせき)・商代(紀元前1600〜前1046年)
安陽市出土。

中央、「玉鉞」(ぎょくえつ)・商代(紀元前1600〜前1046年)
鄭州市出土。

右、「玉戚」(ぎょくせき)・商代(紀元前1600〜前1046年)

玉2.jpg

「鶴寿花播」(かくじゅかはん)・清代(紀元1644〜1911年)

玉3.jpg

「青玉浮雕桃形洗」(せいぎょくふちょうとうけいせん?)
清代(紀元1644〜1911年)

清代までくると、美術品という意識で造られているような気がする。 技術はもちろん、デザイン的にもとても素敵!

2007-01-07 河南博物院その2

紋銅.jpg

「方鼎」(ほうてい)・・四角い器?。う〜む!私の拙い知識では、 とてもガイドは無理。簡単すぎる説明ご了承ください。
展示では「饕餮乳釘紋銅方鼎」(とうてつにゅうていもんどうほうてい?)とありました。(・・??!)
鄭州市内にある「商代遺址」(3500年前)より出土。
王侯の祭器や礼器でかなり大型のもの。一般的には円鼎三本足のものが多いそうなので、四角で四本足はめずらしいのかな。
(確かに他の商代の鼎や春秋時代のものは三本足ばかりでした)
余談ですが・・「鼎座」(ていざ)とは三人が向かい合って座るとの意味。三本足からきているようです。
鄭州市内では、このレプリカを設置してある公園をよく見かけます。

青銅.jpg

「王孫誥編鐘」(おうそんこうへんしょう?)春秋時代
古代の打楽器。これはかなり迫力がありました。写真では分かりづらいのですが展示室の端から端まで、ほぼ一杯の大きさ。(6,7メートルはあったかと)
1日に数回、ここで古代楽器の演奏があるそうです。私は残念ながら
遭遇できませんでした。どんな音がするのか次は是非聞いてみたい!

甲骨1.jpg

「甲骨文」商代・・・安陽市殷墟より出土。
獣類の骨に刻まれた中国最古の文字。
(商代・・日本では殷代と言われているが中国では、商代と呼んでいる)
文字はよく見ないと見えませんでした。やっぱり写ってない・・。

2007-01-05 河南博物院

正面1.jpg

暮れも押し迫った30日、河南博物院に行って
きました。昨夜降った雪が、少し残っていました。
この日も今にも雪が降り出しそうな空模様。
1998年にオープン。
敷地面積はなんと10万屬世修Δ任后

ホール1.jpg

博物院の中に入って少し階段を上るとそこが1階。
広いホールの正面にあるこのオブジェが目に飛び込んでくる。
写真が小さくてちょっと見難いですね。スミマセン。

乏しい情報のまま行ったので、失敗の数々。
各階に4つずつの展示ルームだと思っていたら、1階だけは
その奥にさらにもう1部屋ずつ4部屋あるのを、最後に買った
パンフレットを家に帰ってゆっくり見て、初めて気が付いた。

さらに、4階(恐竜の卵の化石など)があるなんてまったく思わなかった。
もう一つおまけに、展示ルーム内の撮影がOKと分かったのが2階を観ていた時。監視員がいるにもかかわらず写真を撮ってる人がいるので驚いた。・・が、それなら私もと撮り始めたが、とにかく量が多いのと帰りの時間も気になりだして心残りが結構ある。

もしかして何度も足を運ぶことになるかもしれない。・・・つづく。

2007-01-01 謹賀新年

年賀状2.jpg

明けましておめでとうございます本年もよろしくお願い致します。

陽暦のお正月も年々徐々に祝う人も増えてきたようです。
ニュースで見るとカウントダウンをしている所が結構ありました。

中国の知人より年賀状をいただきました。(大きさは電報より少し小さめ)
中国では、今年は猪(ブタ)年なのですって。

2006-12-31 年の瀬

鄭州駅1.jpg

旧正月を祝う中国では、この陽暦の年の瀬はいたって静かな年の瀬で
年末気分は味わえません。
学校も幼稚園も一応お正月(陽暦)の三が日は休みになりますが、
その代わり12月30日31日は土日返上で授業があります。

だから暇で・・というわけではありませんが昨日「河南省博物院」に
行ってきました。
一人で遠出したのは初めて。バスを乗り継いで一時間と少々。
とはいえ河南省博物院の展示物はかなりの量で、少々混乱して
いますので後日(来年?)紹介したいと思います。

写真は鄭州駅です。乗り継ぎ場所なのでついでの紹介ですが、知る人
ぞ知る、中国東西南北の鉄道が交差する交通の要衝と言われております。
駅前は年中ごったがえっています。

何はともあれ、皆様良いお年を!来年もよろしくお願い致します。

2006-12-25 中国的幼稚園

幼稚園.jpg

写真は娘の通っている幼稚園です。

ゆっくり歩いて片道20分の距離と3階の教室なので、私には朝から
ちょっとしたいい運動になります。
幼稚園は朝8:00〜17:50(夏季18:00)で、一日約10時間(幼稚園の先生は大変です)。
毎日が日本でいう延長保育のように長いです。

食事は朝昼晩と3食。おやつ付。お昼寝あり。
保育時間に数分の差はあっても中国では、だいたいどこの幼稚園も こんな感じです。

夕方17:50分の開門目指し、親たちがぞくぞくと迎えに集まって来て門の前に人だかりができ
開門と同時に一斉に園内になだれ込みます。(迫力!)

2006-12-22 冬至ギョーザ

touji.jpg

ここ河南省では、冬至の日に餃子を食べます。(本当です!)

冬至に餃子を食べないと「耳が凍って落ちる」と言われています。 なんか餃子屋さんの企みでもありそうな気がしますが、ほとんど 家庭の手作りなので、それは違うようです。

一般的に、餃子といえば水餃子。 お皿かドンブリに山盛り出てきます。(お店でもそうです) 食べた後、茹で汁もお茶がわりに飲むと、消化にいいとか。

写真は、今朝早くから作った我が家の餃子(もちろん一人分)。 何枚も撮ってるうちに、ちょっとペチャンコになって、ちょっとまずそうではありますが・・ 中味は、主にニラと卵、他諸々。

2006-12-21 新密市

新密市.jpg

鄭州市のお隣(西南)の新密市という所に行ってきました。 夫の両親はこの新密市の出身で、夫のお姉さま方は、皆新密市に住んでいます。新密市は炭鉱の町です。

一番上のお姉さんの次男夫婦に、待望の赤ちゃんが産まれたので、そのお祝いに行ってきました。 3280gの手足をよく動かす元気な男の子で、義母にとってはひ孫になります。 何人目のひ孫になるのか夫に聞いても相変わらず分からない(兄弟に何人子供がいるか位までが限界)ので、私の知っている限り数えてみると8人目ではないかと思います。

ところで写真ですが、赤ちゃん誕生とはまったく関係ありませんが、お祝いの帰りに3番目のお姉さんを、家まで送って行く途中で前に現れた車です。 すごいでしょう。 鄭州市内では見かけませんが、郊外へ行くとよく見かけます。

2006-12-15 中国語あれこれ

私が今まで何百回となく言われている言葉「听不懂」(ティンブドン)。 「听」は、聞く。「不」は、否定。「懂」は分かる。直訳すると、「聞いて(も)分からない」・・・中国語で話しかけられた時、「?」でいっぱいの私が、たどたどしく何か一言発すれば、中国人じゃないことが分かる。すると相手が納得してこう言う。

と共に、「你是哪国人?」(ニィシィナグォレン・・あなたはどこの国の人ですか?)と聞かれる。(省略して「哪国人?」だけの方が多い)。私は「我是日本人!」(ウォシィリーベンレン・・私は日本人です)と答えるわけですが、この「日本人」という発音がクセモノで「リーベンレン」と書きましたが、実際は「リー」は「リとジ」の中間ぐらいの発音で、「レン」は「レとゼ」の中間ぐらいの発音です。私は顔を歪めないと発音できない!(ここまでで中国語が達者な方はさぞかし、笑ってらっしゃることでしょう)

日本も中国も漢字を使う。でも同じ漢字でも日本と中国では意味が違うものも多い。 「走」は日本では「走る」ですが、中国では「歩く」という意味になります。(来たばかりの頃、テレビの刑事もので、捕まえた犯人に「走!」(ぞう!)と言ったのを見たとき、私は早く連行するために走らせるんだと思いました。注;テレビドラマは字幕があるものが多い) 「湯」は日本では「お湯」ですが中国では「スープ」の意味です。聞いた話ですが、日本語ができない中国の人が日本の銭湯で「男湯」「女湯」を見たとき、「男のスープと女のスープとはどんなものだろう?」と不思議がったという話があるとかないとか。ちなみに男と女は、日本も中国も同じ意味です。中国でいうお湯は「開水」または「熱水」です。

「哎喲」(アイヤー)・・・私が結構好きな表現です。日本で言う、「あらまぁ〜」「もう〜」のようにちょっとため息まじりに使うといえばいいでしょうか。 例)肝心な物を買い忘れて、家に着いて気がついたときに→「アイヤーッ!」 響きがひょうきんぽくて、ちょっと笑ってしまいます。

他にもいっぱいありますが、また写真に困った時にでも紹介します。(アイヤー!)

2006-12-08 カササギ2

コメント

もしかして、カササギはこちらでしょうか?(私もキッズ図鑑で、見てみました。) この鳥が飛び立った時の、記憶が無くて、はて?羽先が白かったかどうか・・。

私が見た白いラインが入った鳥というのは、黒と白で青い部分が無かったように思うのだけど・・・。(何も、カササギで悩まなくても・・という感じですね。)

2006-12-05 念願の・・・

コメント

念願の写真のアップ! うれしい!・・・でもまだ四苦八苦。 とりあえずは、良しということで。

写真の鳥は‘かささぎ’・・・らしい。(名は聞いたことがある。が、日本で見たことがなかった)こちらでは、家の周りでじつによく見かける鳥です。 同じような大きさで、黒くて羽を広げるとアールの白いラインが入った鳥がいる。こちらも、‘かささぎ’という。・・???。

どちらにしても中国では、この鳥が家に来ると良いことがあると言われています。

写真は、カメラを構えたとたん、お隣の庭へ行ってしまった。焦ったのと、拡大したので少しボケている。 声はよくないが、尾が長くちょっと優雅な鳥。

これから、どんどん写真もお届けします!乞うご期待!

コメント欄つけ忘れて、大変みたいでしたので、かわうそが勝手に移動しました。
ついでにコメント行も追加しておきます

2006-12-01 4つの条件

中国人が「これがあれば幸せな生活」とあこがれる、4つの条件なるものが有るのを夫の知人から聞きました。

それは、‘本人の奥さん!▲疋ぅ弔亮屐↓西洋の部屋(イギリスの部屋とかアメリカの部屋と限定した説もある)とっ羚駑鼠(順番は関係なし)の4つだそうです。ご存知でしたか?

これを聞いた時、日本人て歴史的な事もあってちょっと嫌われているかなと思っていたので意外でなんか嬉しかった。 うちの夫は日本生活が長かったせいなのかこういう事も知らない、浦島太郎さんなのです。 これから時々口に出して、有り難がらせよう!

日本人女性の皆さまー!憧れだそうですよォ!!

‘日本の女性はとても優しい’のだそうです。ただ何を根拠に言っているのか、中国全土で言われているのかは不明です。

今日から師走。結構寒くてプラタナスの紅葉がいい感じなのですが、お届けできなくて。残念!

2006-11-30  旧暦

そもそもこのサイトとの出会いは、夫の誕生日が実は旧暦だったと今年の誕生日に知りビックリ!じゃあ新暦ではいったいいつなの?とネットで検索してたどり着いたのがココでした。

中国では年配の方はもちろん、現在でも自分の誕生日は旧暦を使っています。(使うという表現でいいのか分かりませんが)中国ですし納得できますが。

同じ頃、日本語を勉強している学生さんと話をしていて、日本人も占い好きと知ってどんな占いをするのかと聞かれ、星占いや中国の四柱推命とか易とか・・・。と答えたところ(通じないところは筆談で)それは旧暦の誕生日で占うのかと聞かれハッとしました。

そう!星占いは別として、中国発祥の占いなら旧暦の誕生日で占うべきだと、その学生にも言われました。ごもっとも。

当サイト「暦と天文の雑学」の‘占いと星座の話’のページに、誕生日の星座が2200年の時を経て星座ひとつ分ズレている。(ハショリ過ぎでスイマセン!)のように、こちらは新暦と旧暦では誕生日がズレます。 私も占いは嫌いではないので、これ以上は申しません。

でも日本人で、自分の誕生日を旧暦で知っている人がどれだけいるのでしょう。

2006-11-25 よろしくお願いいたします

はじめまして桃源路と申します。

 夫の実家である河南省鄭州市(ていしゅうし)に住んでちょうど一年経ちました。
 河南省は有名な観光地ではないので海外から旅行客が訪れるのは少林寺ぐらいですが、「登竜門」の語源となったとされる龍門がある洛陽市や諸葛孔明縁の南陽市など興味深い地も結構あります。

 ここ鄭州市は無名ですが実は省で一番大きな市です。省庁所在地(・・なんて言い方はしませんが)です。

 11月になっても暖かい日が続いていましたが突然寒くなり‘小雪’が過ぎた23日にとうとう雪になりました。それでも日本と同じく今年は暖冬との事。

 習慣の違いに少しずつ慣れてはきましたが・・?いまだ挨拶程度しか中国語を話せずさすがにあせり始めた今日この頃。
 もうすぐ6歳になる娘は結構話せるようになりもっぱら義母と私の通訳になっています。義母が話す方言も理解しているようで私はますます肩身が狭く・・・。

 本当は写真もお届けしたかったのですが、加工の仕方がまだよく解らず只今奮闘中です。デジカメの取説ともニラメッコ状態なのでまだまだ先になるかもしれませんが、どうぞよろしくお願いいたします。


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