風のたより〜 六条 (静岡県)


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2004-03-05 同日の木瓜

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直下同日の投稿、木瓜の話で始まったのに小川と滝の話にすり変わってしまって申し訳ないので、再度カメラを持って写真を撮ってきました。 ご近所にたったひとつだけ花を咲かせていた木瓜。枝を見れば蕾もそろそろと膨らんでおり、例年より幾分早く咲き乱れそうな気配で佇んでいたので、桜を出し抜いてアップします。

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ちなみに、同じく今日の投稿文中にでてくる「阿寺の七滝」同時にアップしました。優美です。


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2004-03-05 日本一万選(?)の小川と名無し滝

午前中、ご近所に用があっててくてく歩いていましたら、自宅から1分ほどのお宅で木瓜の花が一つだけ咲いていました。用を済ませてからデジカメを取りに行きました。が、写そうと思ったその瞬間、「空き容量がありません」
・ ・ ・ 。(遠方に出かける前は必ず確認するのですが、日頃はたまにやります(^^;)
何のために…。
家に帰って撮り溜めていた写真データをPCに取り込むと、先週の土曜日に主人と二人で出かけた時の写真がぎっしり入っていました。

休日を家族で山の散策によく出かけます。この日は、先述(3/2参照)の通り娘が実家にお泊りに行っていましたので、お昼近くまで大寝坊の主人(運転手)と二人、近くの山にと言うだけで当てもなく、ただ北を目指して出かけました。

山間の道路を滑らかに車を走らせながら山々を眺めていますと、杉や檜などの常緑針葉樹に紛れて桜や欅、ニレなどの裸木がぽつぽつと点在していながらも、どこか緑色に棘がなくなって明るい色調なので、木々の新芽も芽吹きの準備を着々と進めているのを感じます。

私は、きっとそこの地元の人しか通らないような林道から更に奥に入って、舗装もされていない山道を歩くのが好きなので、どこから入ろうかと道を探すのですが、山のカーブを曲がり切ったところに脇道があることが多く、「あっ。ここ!」などと急に私が言うので、「そりゃ止まれん」などと主人はアクセルも緩めずそのまま素通りすることがよくあります(笑)
おまけに狭い林道、車を停める場所も同時に探さなければ。

この時はそう言った苦労もさほど無く、脇道と待避所を見つけることができました。というより、小川のか弱く流れる水の清らかさと、不意に目の前に現れた小さくとも健気なまでにその水を湛える名も無い滝に魅かれて、「ここ、水が綺麗〜!滝もある〜!!」と私が絶賛したので、それが“止まれ”の合図と承知している主人は、言い終わらないうちにスピードを緩めて待避所探しをし、運良く見つかった。という感じ。

車を止めて、しばらく交通量を確認。車同士のすれ違いができないほどの道幅の道路なので、もしも車を離れている間に両方から車が来たら待避所に車が止まっていては困るだろう。と主人はしばらく車に乗ったまま通行の頻度を確かめます。主人がそうしている間にも私は薄情にもさっさと車から降りて山の空気を胸いっぱいに吸い込んでいました(^^;

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路肩から5メートル程の崖下を流れる小川の清楚な水に手を浸してみたい。小滝を間近で見たい!
私の行動パターンを掌握している主人が、車から降りて路肩の足元を確かめながら近づくと「ここはフカフカだから、降りられないよ」と言う。
枯葉や枯れ枝が大量に降り積もった崖は、足元が不安定。でも降りたい。足場の頑丈そうな地面を探し当て、何気なく私は降り始めました。

私のその様子に「落ちるぞ」と制す主人の言葉に「大丈夫大丈夫。ほら」と木の幹や枝に掴まりながら、時には「きゃあ」などと悲鳴を上げて降りていくので、仕方なくついてくる主人。そのうち私に追い付き追い越して、手を貸す羽目になりました(^^;

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川原に降り立つと、流れる水はますます透明度を増して神聖なほど。たまらず胸を解放すれば、心の底に淀む塵や澱まで洗い流してくれるようでした。(その臨場感が伝わらない下手くそな写真ですいません)
「冷てぇ〜」と主人の1オクターブ高い声が梢に響いたので、振り返れば手の水を払いながら痛そうにしていました。思わず水を触ろうとした手を引っ込めて(引っ込めるなっちゅーの(笑))、滝の上の岩場へと足を運べば申し訳程度に水しぶきをあげながら、落ちて行く小川の水をじっと二人でしばらく眺めていました。

帰り道、通りすがった日本百選 阿寺の七滝(愛知県鳳来町)に寄りました。こちらも川沿いの遊歩道を歩いて名勝を楽しめたり、七段の滝の、絹糸を垂れるような繊細さで落水する景色もそれはそれは見事だったのですが、やはり私には、人の足が踏み込んでない場所の方が印象深いのでした。


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2004-03-03 雛祭りと、モー娘。in 浜名湖花博

昨日、娘が「お雛様、明日しまってね」と言いました。
「明日? だって、お雛様は明日だから明日以降に仕舞わないと…」
「じゃあ、明後日」
「え。明後日? それも無理です!」
「なんでえ?」

娘の誕生日が雛祭りに近いことから、お雛パーティーは行わず娘の誕生日にささやかな誕生パーティーを開くだけの毎年ですが、今年は実家の母が、お赤飯を炊いて届けるのでお雛様と誕生日のパーティーを一緒に開こうと言ってくれました。
それが今週の土曜日に予定されています。

「ね。お雛様が無かったらお雛パーティーまでできないでしょ」
「うーん…、わかった。終わったら早く仕舞ってね」
どこで聞いてきたのか、娘が言わんとしていることがよく分かるのですが、ちょっとした悪戯心が湧き上がり「どうしてそんなこと言うの?」と聞いてみました。

「だって、早く仕舞わないとお嫁に××××なるから」
予想通り、と言うか少々違う意味合いでしたが、あまりに豪速直球だったので思わず吹き出してしまいました。
「大丈夫大丈夫。みいちゃん(娘の愛称)お婿さんもらうんだから(あくまでも親の願望)、お嫁にはいかないよ」
笑いながらそう言ったら、「あ。そうか」とあっさり納得。
小学3年生の娘に少し冗談が現実的すぎたかな。もう少し夢のある返事をしてあげれば良かった。そう後悔しながら、まあ、言ってしまったものはしょうがない。早くからいっぱい洗脳してしまおう。などと目論むわけで…。

雛人形に雛あられを添えている娘を見つめながらふと、この子はどんな大人になるのだろう。と思いました。
小学1年の一昨年は「動物園の人(いわゆる飼育係)」と言っており、昨年は「ピアニスト」。3年生の初めには「(クラシック)バレエの先生」と一年毎に夢が変わり、現在では何故か「モーニング娘になりたい!」と切望しています(笑)

折りしもしずおか園芸博覧会 浜名湖花博があとひと月余りで開催されます(開催期間4/8〜10/11)。
モーニング娘のミュージカルが会期中に行われることになり、偶然にも共演者を一般人から募集しているという情報が耳に入りました。娘が聞き逃すはずはありません。眼を輝かせて「オーディション受けたい!」
芸能界入りなど親として微塵にも考えていませんが、娘はピアノやバレエを習っており発表会などステージに上がる機会もあるので、舞台度胸をつけるには良いチャンスと思い直して募集要項を漁りました。

探し当てた募集要項、資格は静岡県愛知県在住者。「よしよし」とここまでは良かったのですが、主役の年齢制限は確か13歳以上(間違っていたらごめんなさい)。ならば脇役と眼を移すと10歳以上。惜しい! この3月で9歳になる娘。但書きには“4月2日現在”と更に追い討ちを掛けられ…。しかし諦めきれない娘。

「どうしても駄目か聞いてみて」と縋るのですが、娘は今春4年生。どう見ても新5年生以上を対象にしているとしか思えない。泣く泣く諦めるのかと思いきや、3週間経っても諦めていない娘だったので、応募期限間際に「駄目で元々だから、聞いてみようか」と事務局に電話を掛けてみました。
結果は、やはりバツ。「応募されても書類選考ではじかれてしまいます」とのこと。

「チャンスはまたあるから」
小さな肩をガックリ落とす娘にそう言って慰めたのが、10日ほど前のことでした。
今ではそんなことがあったことなどとうに忘れて、遊びに習い事にと駆け回っています。

私も、苦労の数と幸せの数は比例していくものだと考える一人です。ただ、苦労にも苦労の仕方があって、大切なものを蔑ろにして苦労だけしても幸せにはなれないような気がしています。この先、多くの苦難が待ち受けている娘ですが、例え芸能人になろうが(なれるかしらん)、それこそ情熱的な恋に溺れて駆け落ちしようが(流行らないですね)、大きく眼を見開いて何が大切かを考え、どんな小さな幸せをも見つけられる、そんな大人になってくれたら。それだけでいいと思っています。

ごめんなさい。また更に長くなってしまいました(^^;
最後までお読みくださり、ありがとうございました。


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2004-03-02 早春の海

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半月ほど前、友人と中学時代の恩師、K先生の個展を観に行きました。

K先生の絵を鑑賞しながら、なんとなく分かるような気がするのだけれど表現で きずに、それでも何か感想を述べなければいけない義務感に囚われながら、絵の 一枚一枚を丹念に観ていきました。

適当な言葉がみつからないままギャラリーを一周して、お喋りに興じながら絵を 鑑賞するペースが私より遅い友人たちを待つ間、ちょうど私の横でK先生と個展 開催のお祝いに駆けつけたM先生が近況報告の交換をしていました。 ほどなくして徐にM先生が、 「絵が変わったね」と言ったのが聞こえたので、その言葉に興味を持ってお二人 に向き直ると、K先生が「静かに描きたかったんですよ」と言う。 「あ」と気づいた。

”静か” とてもシンプルでストレートな言葉。K先生の絵はまさしく静かな絵でした。

その私の小声を聞き逃さなかったお二人が揃って顔を向けて、次の言葉を待って いるようでしたので、「静かですね」とK先生に同調した。 でも、まだ何か足りない。続けて「静かなのだけれど…」と言いながら、急いで 言葉を探しました。頭の中にソロバンを浮かべて暗算でもするように弾き出した 答えは”情熱”。

「そう。静かな情熱、のような…」 言い終わらぬうちにK先生は、私の肩を掴みかからん勢いで、「わかる?! わ かってくれる?!」と縋るようだったので、なんだか私の方が照れてしまった。 咄嗟に「ごぉりごぉりごぉりごぉり」と擬音語を発しながら、手のひらでゴマを 擂る真似をすると、「今更ゴマをすっても(成績が上がるわけじゃないから)遅いよ」と、その場に居合わせた人た ちの笑いを誘っていました。

そんなK先生の絵の中で、荒波を描いた絵がありました。 荒波なのに、静か。無音に近い波音の怒涛でした。その静けさが寧ろ情熱的な印 象を与えていました。

週末を実家で過ごす娘を送り届けた帰り道で夕景に出会い、海に沈みゆく落陽を 急に見たくなりました。日暮れを追いかけるように車を走らせたのだけれど、海 に辿りついた時には夕陽は既に雲波に落ちていました。

車を降りて防砂堤に立ち、夕焼けを残しつつ宵闇が迫る海を見渡す。 風は強かったものの、いつもならテトラポットを打ち付ける白波も見えず、穏や かで情熱を蓄えた静けさの海でした。 この海とは全く似つかないのに、何故かK先生の絵を思い出しました。 あの絵はちょうど今時分の頃、春一番と格闘しながら描いた絵なのだろうな。 地味な色づかいの中にも少しパステルがかったの空と海。そんな色彩の海でした。

K先生の絵をお見せできないのが残念です。 代わりと言っては、主張性のない写真でますます申し訳ありませんが、その時の 写真を一枚、置いていきます。


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