風のたより〜 六条 (静岡県)


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2004-03-10 ハルウララ

午前中、羽ばたきを持って家中の埃を払っていたら、開け放した窓から入り込む風が、昨日までの寒の戻りの厳しい風と違うことに気づいた。
温容なそよ風である。春が戻ってきた。
物々(ものものと読んでください)をはたいていた手を止め、子供の机とセットの椅子に腰掛けると、窓の外を(たぶん)ツグミが飛び立っていくのをポケ〜っと眺めた。
「うららかだねぇ…」そんな独り言を呟いて、“春うらら”と脳裏に文字が浮かんだ。
そう言えば。

最近、ワイドショー色の濃い朝のニュースで『ハルウララ』という競馬馬のことを耳にした。何やら105連敗中であると。その馬に天才ジョッキーの武豊さんが乗るということで、一躍話題になった(らしい)。こう言ってはなんだが、名前に精鋭さが欠けていてとても勝てそうにないな(馬主さん、関係者各位ごめんなさい)と思っただけで、その時は聞き流していた。

思い起こせば十ン年前。バブル経済が崩壊しても、好景気の余波が潮を引かずに漂っていた頃、当時勤めていた会社で一部競馬が流行っていた。昼休みになると、社内の競馬ファンが集って昼食を食べながらスポーツ新聞を開き、週末の競馬の予想をする。
所詮は水モノ。元々ギャンブルには興味のない私だが、毎日のように開かれるその予想会の場がちょうど私の席に近かったので、彼ら(或いは彼女ら)の会話が自然と耳に入ってくる。そのうち、何だか参加しなければならないような錯覚に陥ってしまったから、今思えばとても不思議。それでも馬券を買うまでには至らなかった。

ある日の昼休みに、「どうです。六条(本来なら旧姓。以下に同じ)さんも今度競馬に行きませんか」と誘われた。大学時代に競馬を覚えたと言い、公務員の空き待ちのつなぎでアルバイトに来ていた青年で、社内の競馬ブームの火付け役である。
「え?私? 話が面白いから参加してるけど、私はギャンブルはやらない。そもそも競馬はシガラミ抱えたおっちゃんがやるものでしょう? 耳に煙草挟んでさ」
事実、そう言った概念が私の中に根付いていたから、同世代の若い同僚たちが競馬にのめり込んでいることを訝しく思うくらいだった。
「古いなあ〜!!これからは競馬がトレンディ(そんな言葉もありました)なんですよ!」
行こう行こうとみんなで誘うので、その執拗さに負けて「じゃあ、一回だけ」と返事をしてしまった。

当日、アルバイターと同僚たちに囲まれて、私は受験以来の緊張感を持って中京競馬場の門をくぐった。強面でイカツイ男たちが集まる場所かと思いきや、予想外にカップルや家族連れが多いことに少し安堵した。
観戦席ではなく、ゴールに程近い芝生にレジャーシートを敷いてピクニック気分の同僚たちには驚いたが、辺りを見回してそういうものかとすぐに納得した。どかっと皆が腰を下ろすと、各々競馬新聞を睨みながら早速データ分析を始めている。手持ち無沙汰の私にも競馬新聞が回ってきた。だが、昼休みのスポーツ新聞とは全く構成が違っていて、どこをどう見たらいいのかさっぱりだった。

ゲートの空く音がして、新聞と格闘していた顔を上げると、馬が走り出していた。思わず芝生の柵に走り寄った。コーナーを回り、土埃をあげながらこちらに向かって来る。振動が足元まで伝わってきそうな程の迫力で地響きを立てながら馬は走っていた。
間近まで迫ってくる。大きい! これが最初の感想。次の瞬間、目の前を馬が駆け抜けて行く。馬の毛は、走るごと風に上下に靡き、陽光を照り返す輝きの毛艶の良さに恍惚と見惚れた。ゴール手前で騎手が打ち込む鞭の音、緊迫した風が一瞬で走り去っていった。
まさに優駿。

「私、買う! 馬券、買う!! ねえねえ、どうやって買えばいいの?」
当初は、視察目的のみで訪れていた競馬場だったが、興奮して私がそう言い出したので、一同はしたり顔でほくそ笑んだ。そんなことはどうでも良かったから、何とか次のレースをと焦るくらい夢中になった。

100円から買い付けることができると聞いて百円玉を握り締め、馬券売り場に向かった。しがらみが充満しているような薄暗さの中、違和感を払拭できないまましばらく観察していたら、どの人も万単位でお札を窓口に差し出している。私は百円…。決意が挫けそうになりながらも売り場のおばちゃんに、蚊の鳴くような声で躊躇いがちに、「(忘れもしない)2−7百円、お願いします…」と言った。
「え? 何?」
今度はもう少し声を出して「2−7百円です…」
「聞こえないよ。もっと大きな声で言って!」と叱られて、半ばヤケクソぎみに「2−7百円!!」
周囲が一斉にこちらを向いた。赤面しながら百円と馬券を交換する。通りすがりに、「百円なんかで馬券買うな」と言われて気落ちしてしまった。

けれどもいよいよレースが始まると、そんなことはすぐに忘れ、受験合格発表前の気分でゲートを見据える。小気味良い音が響いてゲートが空くと、一斉に歓声が上がった。走るほどに場内は熱気と興奮の坩堝と化し、場内アナウンスを掻き消した。その昂揚に釣られると、もはや上品ぶってはいられない。私も初めて声を上げた。「行けえ〜!」
一度声を出すともう止まらない。自分でも何を叫んでいたか憶えていないけれども、走る馬を眼で追いながら、とにかく怒声を上げていた。
ゴール直前、入り乱れた(ように見えた)。どの馬が1着だったのか私には分からなかったが、馬たちが走り切る前には場内全体が低いトーンのため息に包まれた。馬券をちぎり投げ捨てる観客たち。観戦席から舞い散る馬券の紙吹雪きが、憂色を滲ませた桜の花びらのようだった。

「六条さん、やったね」と同僚に肩を叩かれた。
「うそ、私の馬?(私物化するナー) ほんとにぃ?」掲示板の順位と自分の馬券を見比べた。1着2着は私の買った馬だった。
馬たちがゴールしてから大分遅れて「きゃあ〜〜〜〜♪」と喜びの悲鳴を上げ、その場で小躍りするワタシ…。お腹を突き出して仁王立ちすると、「どうだ!私は勝ったぞ」と調子に乗り、その奇行に周囲の失笑を買っていた。

「お姉ちゃん、いくら買ったんだい?」とまたまた通りすがりのオジサンに声を掛けられ、堂々と答える。「百円です!」
「けっ」と唾棄するように去っていったが、配当は確か17倍。百円が1700円になって上機嫌の私は意に介さなくなった。
その後もビギナーズラックで快進撃を続けて(と言っても負けもありましたが)、同僚を驚かせ、胡坐をかいて新聞を見、耳に赤鉛筆を挟んでと、帰る頃にはすっかりオジサン化していた私であった。

3回ほど競馬場に足を運んだだろうか。電光掲示板や自動券売支払機が登場し、競馬場も日本中央競馬会のCMも次第に瀟洒に様変わりして、多分、競馬を知らない人でもその名を知っているオグリキャップの引退レース有馬記念と同時に、1年弱の私の短い競馬人生が終わった。
飽きてしまった。それが理由である。
やはり水モノである。“勝ち”は自分の力を信じて、自分で取りに行くものだと思う。日々を培っていかなければフィールドに立てない。闘えない。勝敗を決めるのは一瞬だが、その一瞬のための裏側にある懸命さすらもカッコイイと思うのだ。
そーゆー私は、未だ人生、勝負に出ていない…。(カッコ悪)

ハルウララ。
どうにもその名から、たんぽぽ咲き乱れる野原を駆け巡る仔馬というイメージが強いのだけれど、パートナーを信じて有終の美を飾って欲しいと願っている。


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2004-03-08 十万回のありがとう

先週の土曜日、予定通り(3/3参照)3日遅れの雛祭りと、少し早い娘の誕生パーティーを行った。
すっかり足が遠くなってしまった息子(息子もいるんですよー)に父が会いたがっていたので、「じいじがお兄ちゃんに会いたいんだって。ご馳走作って待っているから」と半ば強制的に、離れて暮らしながら(と言っても近くなのだけれど)自立を目指す息子を誘った。

面々が揃ったこの日の夕方から、ささやかながらご馳走を並べたテーブルを囲み、パーティーは始まった。ローソクに火を付け電気を消すと、誰ともなくバースデーソングを歌い出す。
♪ハッピバースデー トゥー ユ〜〜〜〜。
歌い終わると同時に娘がローソクの火を吹き消す。吹き消し終わると一同「おめでとう!!」と拍手を浴びて娘は嬉しそう。どこの家庭でも見られる光景が我が家にもあった。

賑やかしにテレビを付けた。きっと誰も見ないのだけれど。
我が家のチャンネル権は親にある。例外もあって、この日は誕生祝いも兼ねているのだから娘に優先権がある。けれども、それは来客がない場合。客と言っても純粋に身内ばかりなのだが、わざわざお祝いにお赤飯まで炊いてくれた両親に必然とその権利が譲渡される。そんな暗黙のルールが我が家にあった。
それでもアニメなどの時間帯だから娘の好きなものが観れるのだろうとタカを括っていたのだが、夫がリモコンでチャンネルを次々と変えていた矢先、ボクシングをやっているところがあった。格闘技好きの父が見逃すわけがない。
「おっ。ボクシングやってるな。それを観るか」と言った瞬間、絶妙なタイミングで試合開始のゴングが鳴った。
「カーン」 娘、一貫の終わりである。あまりに平坦で乾燥した音だったので、思わず笑えた。けれど、文句ひとつ言わない娘の気持ちを考えて笑いを堪え、平然を装った。

食べて飲んで(と言っても私は下戸)お喋りして。宴も最高潮を迎えていよいよ娘お待ちかねのケーキ入刀。『お誕生日おめでとう』と書かれたホワイトチョコのプレートも可愛い小人のマジパンも、六等分されたバースデーケーキの一つに所狭しと飾られて満足そうな娘。早速大事そうに食べていた。
娘のケーキがあと一口を残したところで夫が、生クリームが所々についているチョコプレートを摘まんで取り「最近のはこんなに凝ってるんですよ」と父に見せた。「どれ」と受け取った父は、事もあろうか自分の手を散々拭いたオシボリでその生クリームを拭き取ってしまった。またも、結局誰も観ていないテレビから、何ラウンドめかの試合経過3分を知らせるゴングが鳴った。
「カンカンカンカーン!」 派手に鳴るゴング。娘の敗北を意味するようで、今度は堪えきれずに声を立てて豪快に笑ってしまった。それを引き金に爆笑を誘い、娘は顔を歪めて食卓に突っ伏すと泣き出してしまった。
「大丈夫だよ。ほら、食べられるよ」と母は言うのだが、父の手垢のなすり付けられたものなど、正直私も食べたくない…。
あーでもないこーでもないと、プレートごときでみんなが大騒ぎ。父を責める者などその場には誰一人としておらず、とうとう娘は座を立って廊下に出て行ってしまった。

主役不在の宴の席は、静まり返るどころか廊下を気にしながら更に喧々囂々。
「ほっとけばいいよ」と私の一言で一応その場はおさまった。そう。放っておけばいいのだ。そう言いながら一番最初に席を立ったのは私だったりする。空いたお皿を片付けるフリをしてドアのガラス部分から様子を伺うと、娘は廊下の隅で蹲って拗ねていた。

娘が拗ねている本当の理由を私は知っている。そして息子も。
くどいようだが今日は娘の雛祭りと誕生会。けれども、久しぶりに再会した息子の近況報告を肴に宴が盛り上がってしまった。すっかり主役の座を奪われて、娘が面白い筈がない。
夫も母も分かっていた。父だけが「あんなことで拗ねるのか」と不思議がっていた。決して人の気持ちを斟酌するのが苦手ではない父なのだが、夫婦二人暮しの両親。父は少し忘れがちになっていた。

私は、いつもなら一度に何枚も運ぶお皿を少しずつ運んで、何度もキッチンとリビングを往復する。その様子に気づいた主人が察したように席を立って廊下に出た。なんと話したかは聞こえなかったが、「駄目だこりゃ」と呟きながら戻ってきた。
次は母。「トイレはこっちだったかいねえ…」などと見え透いた芝居を打ちながら、廊下に出る。何も言わずに戻ってきた。
そして父。シナリオどおりである。行かない方がいいのに。内心でそう思っていると、やはり無残にも一蹴されたのかすごすごと帰ってきた。
最後に息子がトランプを持ち出して廊下に向かう。娘の気持ちはみるみる氷解し、二人でしばらく寒い廊下で仲良くゲームをしているのを見て、さすがお兄ちゃんだな。と思った。

娘は幸せである。そして私も。夫も息子も両親も。

両親を送り届けた実家の門前で私は、「来てくれてありがとう。私、幸せだよ」と二人に言った。何故かそう言いたかった。終始微笑むの母の隣で、街頭の明かりが差し込む父の顔がほころんだ。「そうか。それは良かったな」
ふと思った。私は生きているうちに、何度「ありがとう」と言うのだろう。
1日1回、ありがとうを言い、百歳まで生きるのだとして単純に計算すれば、365日×100歳=36500回。2回なら倍の73000回、3回なら109500回。10万回のありがとうを言うことになる。
「ありがとう」とは、幸せの証しなのかもしれない。ならば、10万回でも100万回でも言える人間になりたい。そう思った。

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「ああ…、月が綺麗だなぁ…」 感激屋でもある父が心底言って、母と二人で夜空を見上げた。
日中、忙しかった天気も(3/6参照)夜には落ち着きを戻し、冷え切った闇を澄明に照らす月がほぼ真上に浮かんでいた。その近くで寄り添うように木星が光っている。
「あれは木星か?」と父が聞くので、「そう。木星」と答えた。父が言ったようにどちらもとても綺麗だった。
満月に近い崇高なまでの月。携帯を取り出して一枚撮り、心の中で呟いた。
「お月さまも、ありがとう」

う〜〜ん。書いてしまって、長い!と自分でも思ったのですが、削るところがないのでそのままアップしちゃいました。
貴重なお時間、頂きましてありがとうございました。


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2004-03-06 寒の戻りすぎ

今日は朝から晴れて曇り、雨が降って雪が降りました。
吹雪くかと思われた雪ですが、たった今止みました。只今4時30分ごろです。
3月とは思えない寒さ。
雪を降らせた雲は、足早に東に向かいました。
冬から、珍しく雪の多い静岡です。

2004-03-05 同日の木瓜

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直下同日の投稿、木瓜の話で始まったのに小川と滝の話にすり変わってしまって申し訳ないので、再度カメラを持って写真を撮ってきました。 ご近所にたったひとつだけ花を咲かせていた木瓜。枝を見れば蕾もそろそろと膨らんでおり、例年より幾分早く咲き乱れそうな気配で佇んでいたので、桜を出し抜いてアップします。

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ちなみに、同じく今日の投稿文中にでてくる「阿寺の七滝」同時にアップしました。優美です。


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2004-03-05 日本一万選(?)の小川と名無し滝

午前中、ご近所に用があっててくてく歩いていましたら、自宅から1分ほどのお宅で木瓜の花が一つだけ咲いていました。用を済ませてからデジカメを取りに行きました。が、写そうと思ったその瞬間、「空き容量がありません」
・ ・ ・ 。(遠方に出かける前は必ず確認するのですが、日頃はたまにやります(^^;)
何のために…。
家に帰って撮り溜めていた写真データをPCに取り込むと、先週の土曜日に主人と二人で出かけた時の写真がぎっしり入っていました。

休日を家族で山の散策によく出かけます。この日は、先述(3/2参照)の通り娘が実家にお泊りに行っていましたので、お昼近くまで大寝坊の主人(運転手)と二人、近くの山にと言うだけで当てもなく、ただ北を目指して出かけました。

山間の道路を滑らかに車を走らせながら山々を眺めていますと、杉や檜などの常緑針葉樹に紛れて桜や欅、ニレなどの裸木がぽつぽつと点在していながらも、どこか緑色に棘がなくなって明るい色調なので、木々の新芽も芽吹きの準備を着々と進めているのを感じます。

私は、きっとそこの地元の人しか通らないような林道から更に奥に入って、舗装もされていない山道を歩くのが好きなので、どこから入ろうかと道を探すのですが、山のカーブを曲がり切ったところに脇道があることが多く、「あっ。ここ!」などと急に私が言うので、「そりゃ止まれん」などと主人はアクセルも緩めずそのまま素通りすることがよくあります(笑)
おまけに狭い林道、車を停める場所も同時に探さなければ。

この時はそう言った苦労もさほど無く、脇道と待避所を見つけることができました。というより、小川のか弱く流れる水の清らかさと、不意に目の前に現れた小さくとも健気なまでにその水を湛える名も無い滝に魅かれて、「ここ、水が綺麗〜!滝もある〜!!」と私が絶賛したので、それが“止まれ”の合図と承知している主人は、言い終わらないうちにスピードを緩めて待避所探しをし、運良く見つかった。という感じ。

車を止めて、しばらく交通量を確認。車同士のすれ違いができないほどの道幅の道路なので、もしも車を離れている間に両方から車が来たら待避所に車が止まっていては困るだろう。と主人はしばらく車に乗ったまま通行の頻度を確かめます。主人がそうしている間にも私は薄情にもさっさと車から降りて山の空気を胸いっぱいに吸い込んでいました(^^;

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路肩から5メートル程の崖下を流れる小川の清楚な水に手を浸してみたい。小滝を間近で見たい!
私の行動パターンを掌握している主人が、車から降りて路肩の足元を確かめながら近づくと「ここはフカフカだから、降りられないよ」と言う。
枯葉や枯れ枝が大量に降り積もった崖は、足元が不安定。でも降りたい。足場の頑丈そうな地面を探し当て、何気なく私は降り始めました。

私のその様子に「落ちるぞ」と制す主人の言葉に「大丈夫大丈夫。ほら」と木の幹や枝に掴まりながら、時には「きゃあ」などと悲鳴を上げて降りていくので、仕方なくついてくる主人。そのうち私に追い付き追い越して、手を貸す羽目になりました(^^;

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川原に降り立つと、流れる水はますます透明度を増して神聖なほど。たまらず胸を解放すれば、心の底に淀む塵や澱まで洗い流してくれるようでした。(その臨場感が伝わらない下手くそな写真ですいません)
「冷てぇ〜」と主人の1オクターブ高い声が梢に響いたので、振り返れば手の水を払いながら痛そうにしていました。思わず水を触ろうとした手を引っ込めて(引っ込めるなっちゅーの(笑))、滝の上の岩場へと足を運べば申し訳程度に水しぶきをあげながら、落ちて行く小川の水をじっと二人でしばらく眺めていました。

帰り道、通りすがった日本百選 阿寺の七滝(愛知県鳳来町)に寄りました。こちらも川沿いの遊歩道を歩いて名勝を楽しめたり、七段の滝の、絹糸を垂れるような繊細さで落水する景色もそれはそれは見事だったのですが、やはり私には、人の足が踏み込んでない場所の方が印象深いのでした。

2004-03-03 雛祭りと、モー娘。in 浜名湖花博

昨日、娘が「お雛様、明日しまってね」と言いました。
「明日? だって、お雛様は明日だから明日以降に仕舞わないと…」
「じゃあ、明後日」
「え。明後日? それも無理です!」
「なんでえ?」

娘の誕生日が雛祭りに近いことから、お雛パーティーは行わず娘の誕生日にささやかな誕生パーティーを開くだけの毎年ですが、今年は実家の母が、お赤飯を炊いて届けるのでお雛様と誕生日のパーティーを一緒に開こうと言ってくれました。
それが今週の土曜日に予定されています。

「ね。お雛様が無かったらお雛パーティーまでできないでしょ」
「うーん…、わかった。終わったら早く仕舞ってね」
どこで聞いてきたのか、娘が言わんとしていることがよく分かるのですが、ちょっとした悪戯心が湧き上がり「どうしてそんなこと言うの?」と聞いてみました。

「だって、早く仕舞わないとお嫁に××××なるから」
予想通り、と言うか少々違う意味合いでしたが、あまりに豪速直球だったので思わず吹き出してしまいました。
「大丈夫大丈夫。みいちゃん(娘の愛称)お婿さんもらうんだから(あくまでも親の願望)、お嫁にはいかないよ」
笑いながらそう言ったら、「あ。そうか」とあっさり納得。
小学3年生の娘に少し冗談が現実的すぎたかな。もう少し夢のある返事をしてあげれば良かった。そう後悔しながら、まあ、言ってしまったものはしょうがない。早くからいっぱい洗脳してしまおう。などと目論むわけで…。

雛人形に雛あられを添えている娘を見つめながらふと、この子はどんな大人になるのだろう。と思いました。
小学1年の一昨年は「動物園の人(いわゆる飼育係)」と言っており、昨年は「ピアニスト」。3年生の初めには「(クラシック)バレエの先生」と一年毎に夢が変わり、現在では何故か「モーニング娘になりたい!」と切望しています(笑)

折りしもしずおか園芸博覧会 浜名湖花博があとひと月余りで開催されます(開催期間4/8〜10/11)。
モーニング娘のミュージカルが会期中に行われることになり、偶然にも共演者を一般人から募集しているという情報が耳に入りました。娘が聞き逃すはずはありません。眼を輝かせて「オーディション受けたい!」
芸能界入りなど親として微塵にも考えていませんが、娘はピアノやバレエを習っており発表会などステージに上がる機会もあるので、舞台度胸をつけるには良いチャンスと思い直して募集要項を漁りました。

探し当てた募集要項、資格は静岡県愛知県在住者。「よしよし」とここまでは良かったのですが、主役の年齢制限は確か13歳以上(間違っていたらごめんなさい)。ならば脇役と眼を移すと10歳以上。惜しい! この3月で9歳になる娘。但書きには“4月2日現在”と更に追い討ちを掛けられ…。しかし諦めきれない娘。

「どうしても駄目か聞いてみて」と縋るのですが、娘は今春4年生。どう見ても新5年生以上を対象にしているとしか思えない。泣く泣く諦めるのかと思いきや、3週間経っても諦めていない娘だったので、応募期限間際に「駄目で元々だから、聞いてみようか」と事務局に電話を掛けてみました。
結果は、やはりバツ。「応募されても書類選考ではじかれてしまいます」とのこと。

「チャンスはまたあるから」
小さな肩をガックリ落とす娘にそう言って慰めたのが、10日ほど前のことでした。
今ではそんなことがあったことなどとうに忘れて、遊びに習い事にと駆け回っています。

私も、苦労の数と幸せの数は比例していくものだと考える一人です。ただ、苦労にも苦労の仕方があって、大切なものを蔑ろにして苦労だけしても幸せにはなれないような気がしています。この先、多くの苦難が待ち受けている娘ですが、例え芸能人になろうが(なれるかしらん)、それこそ情熱的な恋に溺れて駆け落ちしようが(流行らないですね)、大きく眼を見開いて何が大切かを考え、どんな小さな幸せをも見つけられる、そんな大人になってくれたら。それだけでいいと思っています。

ごめんなさい。また更に長くなってしまいました(^^;
最後までお読みくださり、ありがとうございました。

2004-03-02 早春の海

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半月ほど前、友人と中学時代の恩師、K先生の個展を観に行きました。

K先生の絵を鑑賞しながら、なんとなく分かるような気がするのだけれど表現で きずに、それでも何か感想を述べなければいけない義務感に囚われながら、絵の 一枚一枚を丹念に観ていきました。

適当な言葉がみつからないままギャラリーを一周して、お喋りに興じながら絵を 鑑賞するペースが私より遅い友人たちを待つ間、ちょうど私の横でK先生と個展 開催のお祝いに駆けつけたM先生が近況報告の交換をしていました。 ほどなくして徐にM先生が、 「絵が変わったね」と言ったのが聞こえたので、その言葉に興味を持ってお二人 に向き直ると、K先生が「静かに描きたかったんですよ」と言う。 「あ」と気づいた。

”静か” とてもシンプルでストレートな言葉。K先生の絵はまさしく静かな絵でした。

その私の小声を聞き逃さなかったお二人が揃って顔を向けて、次の言葉を待って いるようでしたので、「静かですね」とK先生に同調した。 でも、まだ何か足りない。続けて「静かなのだけれど…」と言いながら、急いで 言葉を探しました。頭の中にソロバンを浮かべて暗算でもするように弾き出した 答えは”情熱”。

「そう。静かな情熱、のような…」 言い終わらぬうちにK先生は、私の肩を掴みかからん勢いで、「わかる?! わ かってくれる?!」と縋るようだったので、なんだか私の方が照れてしまった。 咄嗟に「ごぉりごぉりごぉりごぉり」と擬音語を発しながら、手のひらでゴマを 擂る真似をすると、「今更ゴマをすっても(成績が上がるわけじゃないから)遅いよ」と、その場に居合わせた人た ちの笑いを誘っていました。

そんなK先生の絵の中で、荒波を描いた絵がありました。 荒波なのに、静か。無音に近い波音の怒涛でした。その静けさが寧ろ情熱的な印 象を与えていました。

週末を実家で過ごす娘を送り届けた帰り道で夕景に出会い、海に沈みゆく落陽を 急に見たくなりました。日暮れを追いかけるように車を走らせたのだけれど、海 に辿りついた時には夕陽は既に雲波に落ちていました。

車を降りて防砂堤に立ち、夕焼けを残しつつ宵闇が迫る海を見渡す。 風は強かったものの、いつもならテトラポットを打ち付ける白波も見えず、穏や かで情熱を蓄えた静けさの海でした。 この海とは全く似つかないのに、何故かK先生の絵を思い出しました。 あの絵はちょうど今時分の頃、春一番と格闘しながら描いた絵なのだろうな。 地味な色づかいの中にも少しパステルがかったの空と海。そんな色彩の海でした。

K先生の絵をお見せできないのが残念です。 代わりと言っては、主張性のない写真でますます申し訳ありませんが、その時の 写真を一枚、置いていきます。


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